スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

はいふり 晴風の軌跡 9話まで

ハイスクールフリート 略称はいふり
主人公が艦長を務める晴風の軌跡。

※ 実のところ、話の内容で要約したほうが大変わかりやすい。
※ 駆逐艦及び海自の主任務のいいところお見せしましょうというのがこのアニメの趣旨である。
1話 出航
2話 重巡洋艦から煙幕で逃げる
3話 対潜
4話 モールに寄港
5話 武蔵追跡
6話 掃海
7話 海難救助
8話 対戦艦
9話 対重巡ふたたび、白兵戦




晴風の軌跡9話まで
Powers by Google




日付と晴風の行動指針は太字で表示しています。

4月6日 午後? 横須賀
晴風、横須賀海洋女子学校を出航。第1集合地点である西之島新島へ向かう
教育艦は以下の通り:
Y118 武蔵
Y211 鳥海
Y212 摩耶
Y512 照月
Y513 涼月
Y459 天津風
Y460 磯風
Y461 時津風
Y470 浜風
Y467 晴風




4月7日 6:00 西之島新島沖
教育艦が集合。晴風と武蔵が遅刻のため到着していない。




4月7日 午前? 西之島新島沖から130kmの海上
晴風、教員艦さるしまより砲撃を受ける。命中弾なし
模擬弾魚雷で反撃し、さるしまに命中。さるしまは停止
晴風、通信封鎖及びGPSカット
晴風、第2集合地点である鳥島南18kmの位置まで退避する進路を取る
さるしまより、晴風がさるしまを攻撃したとの報が整備局に流れる




4月8日 午前? 横須賀まで、巡航で38時間の位置
晴風、横須賀に戻る進路を取る
晴風、アドミラルシュペーに追跡される
砲撃戦の末、逃走に成功する

アドミラルシュペーより小型艇で離脱したミーナが味方から砲撃され転覆
ミーナを救出する

武蔵の救難通信を傍受する




4月8日 16:00
横須賀海洋女子学校のモニターによれば、以下の艦艇が行方不明になっている:
Y118 武蔵
Y309 五十鈴
Y460 磯風
Y102 比叡
Y513 涼月
Y512 照月

晴風、自身が指名手配されていることを知る
武蔵の捜索は諦めて横須賀への進路を維持する




4月8日 深夜
潜水教育艦 伊201の推進音を検知
アクティブソナー利用して交信を試みるも雷撃を受ける。晴風に命中せず
ミーナの協力もあり、掃海艇を利用して爆雷を命中させる
伊201は浮上して救難信号を発信。伊201の教員艦が急速接近したため晴風は逃走する
※ 晴風をはじめとする練習艦及び教員艦に搭載している実弾は演習用であり、破壊力が小さいようだ




4月9日 5:40
ミーナよりアドミラルシュペーで起こったことを聞く
電子機器が動かなくなり、同時に乗組員が命令を聞かなくなったとのこと

校長より、教育艦全てに帰還命令および戦闘禁止命令が出る
追跡対象になっているのはそのままなので、隠密裏に横須賀に帰還することに





日付不明 午前中? 横須賀まで、巡航で26時間の位置
晴風、トイレットペーパーが枯渇する
買い出しのため、オーシャンモール四国沖店に進路を取る

晴風より、艦長以下4名がスキッパーで買い物に出る
晴風、ネズミのような生物を拾う




日付不明 午後? オーシャンモール四国沖店
晴風艦長以下4名、買い物帰りのところを拘束される




日付不明 夜 オーシャンモール四国沖店付近
晴風、間宮と明石など計4隻に囲まれる
艦長以下4名が晴風に戻る
晴風の砲術長が乱心し、間宮と明石に機銃を撃つがミーナに海に投げ込まれ、正気に戻る




日付不明 朝 オーシャンモール四国沖店付近?
晴風、間宮と明石より補給および補修を受ける




4月14日 10:30 とある無人島
晴風の水雷長と砲術長が整備局より事情聴衆を受ける

東舞鶴教員艦、武蔵を北マリアナのマウグ諸島付近にて発見するが
武蔵より砲撃を受ける。
学校より晴風に武蔵追跡命令が下り、現場へと赴く




4月14日 午後 北マリアナ諸島 マウグ島付近
晴風、武蔵と教員艦との砲撃戦を目撃する
晴風艦長が小型艇(スキッパー)で単身武蔵に向かうが、転覆して武蔵に辿り着けず

学校のモニターによれば、さらに以下の艦艇が行方不明になっている:
Y211 鳥海
Y212 摩耶
Y461 時津風
Y459 天津風
アドミラルシュペー
Y310 名取




4月14日 夜
晴風に電波障害が生じる
先日見つけたネズミのような生物が電波障害及び砲術長乱心の原因であることに気づく
晴風の近距離で機雷が爆発




4月15日 午前中?
晴風、機雷に囲まれてしまう
スキッパーを利用して掃海するが、スキッパーのうち一つが爆発に巻き込まれ転覆する。
艦長と航海長がスキッパー乗員を救出
衛生長がネズミのような生物が謎のウイルスを保有していることを突き止め、自らが抗体のテストに踏み切る




4月22日 20:30
武蔵が目撃された地点を整理し、捜索を続ける
※ 海図によると、目撃された場所はグアムからパラオの間の海域
艦長が副長とミーナに身の上話をする




日付不明 午前中?
晴風が水不足に陥るが、スコールが降り水を蓄える




日付不明 夜 ウルシー環礁 ファラロップ島近く
座礁した新橋商店街船からの救難信号を受信、救助に向かう
転覆する商店街船に副長が取り残されるが、ブルーマーメイドに救助される




4月26日 午前中 トラック諸島より3時間の位置
行方不明になっていた教育艦 比叡に遭遇する
ウイルス持ちの比叡がトラック諸島に到達する危険を考えて、
比叡を足止めする作戦を実行し、比叡を座礁させることに成功する

学校側がウイルスの正体を把握する。海中プラントで偶然生まれた生物に宿るウイルス。
RATt = RATt is Affection of Totalitarianism (全体主義の疾患)




4月26日 午後 トラック諸島より3時間の位置
晴風、ブルーマーメイドに比叡の後処理を引き継ぎ、武蔵の捜索を続けることとする
晴風、大型艦の目撃情報があったアドミラルティ諸島を目指す
目撃された大型艦がアドミラルシュペーと判明する




日付不明 午前中 アドミラルティ諸島方面
晴風、アドミラルシュペーを足止めするべく攻撃を仕掛けるが失敗、
スキッパーによる乗艦・突入作戦に切り替える
アドミラルシュペーへの乗艦及びウイルス駆除に成功する

ミーナ、アドミラルシュペーに戻る。アドミラルシュペーはドイツ側の最寄り港へ帰投
※晴風とシュペーが別れるシーンで両艦が掲げる信号旗は「航海の無事を祈る」という意味

晴風、明石にて修理を受ける




以下は10話以降にて。
スポンサーサイト

紅殻のパンドラについての独り言

アニメ「紅殻のパンドラ」、11話まで見ました。
正直、制作リソースはギリギリだ。でもアップルシードや攻殻から四半世紀が過ぎたいま、その世界を受け継ぐ作品をアニメ化してくれただけでもありがたい。あの極端なノリもアニメだとなぜか引っかからずに見られるし。
ところで、紅殻のパンドラには士郎作品からのテーマやタームがいろいろ登場する。ここでそれらについて独り言を述べてみたい。

・サイボーグとアンドロイドとロボット
サイボーグ:生理機能の一部を機械装置あるいは人工的な有機組織によって代行している「人間あるいは生物体」
アンドロイド:人間に限りなく近い外見を持つ「ロボット」
ロボット:フィードバックにより自己制御する「機械」
というのが伝統的な使い分け。クラリオンはサイボーグではなくアンドロイドのようだ。


・セブロ、阪華精機
セブロ:士郎正宗作品に登場する架空の銃器メーカー。少量生産高精度を旨とする。
阪華精機:攻殻機動隊に登場する架空のロボットメーカー。


・核戦争後の世界
アップルシードや攻殻とのshared worldだとすれば、20世紀末に核戦争が勃発している。
核戦争時にソ連が壊滅し米国や欧州にも甚大な被害が出ている。米国は南北に分裂し、北側が米ソ連合、南側がアメリカ帝国となっている。
クルツ大佐が言う「米帝」とはアメリカ帝国のことを指す。
中国には巨大隕石が落下して北京周辺が壊滅し、結果的に民主化している。福音(ねね)の通信授業に出てくる隕石の話はこれのことだろう。
中東には過激な宗教国「ムンマ教国」ができている。クルツ大佐のセリフ「米帝や教国の…」にて、教国とはムンマ教国のことを指す。
核戦争から数年後には第四次世界大戦が起こっていて、アジア諸国vs欧米という構図で通常兵器による泥沼の長期戦争となった。サイボーグや電脳などの技術がここで一気に進歩している。
超電磁レールガンや荷電粒子砲が核に代わる次世代の抑止兵器と目されているようだ。


・人類救済計画アポルシード
アップルシード計画とは、自滅する人類を救うための、「理性と情緒のバランスのとれた理想的なヒトを人工的に作り出し、彼らが人類を統治することで破滅を回避する」という骨子に基づく人類救済計画のこと。
日本は人類救済計画アポルシードに加担し、大日本技研「ポセイドン」という名の企業連合国家を形成している。
ポセイドンに属するクルツ大佐はアップルシード計画を歪んだ形で理解していて、彼の述べる世界平和は少しズレているのである。
物語の舞台となるセナンクル島は最先端研究を行う機関や企業が集中しているが、ここもアップルシード計画の一環として構築されたのかもしれない。


・エルピス
ギリシャ神話のパンドラの匣のエピソードで、箱の中に残っていた ”希望” のこと。

君はギリシャ神話のパンドラの匣という物語をご存じだろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪慾、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。
- 太宰治「パンドラの匣」より


人類は己の利己的行動ゆえにどうあがいても自滅する。ならば「理想的なヒト」による統治を行うしか人類を救うすべはない…というのがアポルシード計画の骨子であり、アップルシードにおいてそれは人間そのものを理想的なヒトに改造する「エルピス計画」へと進展していく。

紅殻のパンドラは世界平和を希求する物語であり、それは福音(ねね)とクラリオンの、似て異なる者同士のつながりから始まる。
世界平和というキーワード、異なる者同士の共存原理、この構図はアップルシードと同じ形になっている。

映画感想:金正成のパレード、そしてイブセキヨルニ

広島 横川シネマにて上映中の「金正成のパレード」を見ました。
1991年なら、まだ笑って観ることができたかもしれない。でも2015年の今、この映画はまるで日本の未来を先取りしているようでまったく笑えない。
北朝鮮の公式映像だけで構成されたこの映画は、全体主義そのものが映っている。かつては抗日闘争、今は資本主義との闘争と、何かと戦っている革命の戦士という歪んだアイデンティティ。トップダウンが行き着いた先の無謬なる指導者様。美辞麗句で固められたプロパガンダというべき文言が国じゅうのいたるところに刻み込まれる。
とにかく、どこを取っても確たる実体がないのが恐ろしい。表現だけが素晴らしくパレードは華やかで指導者様は輝かしく、しかし産業・農業・行政・開発etcなど国を支える活動について具体的なものはまったく映っていない。幻想国家そのものだ。

そして、日本アニメータ見本市で公開された「イブセキヨルニ」。こちらも笑えない内容になっている。
闘争を掲げ革命を歌い政策はバラ色、しかしその根元を正せばそれは崇高な使命などなくただ女性に目を奪われたから。
美しい国、正当な民族、日本を悪くしている既得権益層、そういった麻薬的な文言あるいは概念には顔がない、つまり実体も実効性もないというテーマが突きつけられる。

二つの映画は内容こそ違えど、麻薬的な文言に酔えばそれは地獄を招くという点で共通している。
美しい国、洗練された民族、輝かしい歴史。
そして、それらを裏打ちするために存在する敵。公共の敵、帝国主義者、資本主義、既得権益、老害、仕事をしない役人...
どれもこれも確たる実体がなく、それでいて魅惑的で、現実から目をそらして市民を狂奔させる効果がある。
必要なのは、朝に必ず標語を全員で朗読させることではなく、足を引っ張ってる奴を見つけて飛ばすことでもなく、わずかでもいいから具体的な改善を行うことなのに。

感想:アニメ艦これ

アニメ艦これが終わりました。シナリオや設定が水準以下で見るのが苦痛でした。
やってはいけないことを全部やってると言われるのも無理はない。

>因果律がおかしい
手の中にあるはずのコインが消える、こんな手品に驚くようになるのは幼稚園ぐらいからか。
原因があって結果があるというのは子供でも理解している普遍の原理。
「受け手が何を知っているかを知る」のはとても重要だ。人は自分の知っていることしか理解できない。だから子供でも知っている因果律は必ず守らなければいけないはずだが、アニメ艦これはそれが守られていない。
主人公が何の理由もなく海岸に立っている、それまでいなかった主人公が突然現れる、艤装が突然出現する。鎮守府が突然空爆される。
仲間の死を乗り越える二人、最初の一歩を踏み出す箱入り娘、そういう "場面" を描くために因果律が無視されるので混乱を招く。まず好きな場面を削れ、という格言の意味がよくわかる。

>架空戦記であることがわからない
シナリオの最大の問題点は、これが架空戦記であるという説明がないこと。
時代背景を示すものが劇中に出てこないので架空戦記であることがわからないし、太平洋戦争が実際にどう推移したのか知っている人もかなり少ない。現代劇だというならなぜ史実と同じ流れを辿っているのか説明が必要だがそれもない。運命のくびきとか最終話近くで急に言われても困るだけ。(前述の因果律の項を見返してほしい)
ゲーム艦これを架空戦記だと思っている人はほとんどいないだろう。確かに当時の海戦をモチーフにしてはいるが、ストーリーが存在しないし艦娘が史実通り沈むわけでもないし舞台は現代っぽいので、それらはモチーフ止まりであるというのが共通認識のはずだし、架空戦記を求められてもいないのだ。

>戦闘シーン
深海棲艦のサイズが不明。攻撃力も不明。作戦の大目的も不明。深海棲艦が人類に危害を加える描写なし。鎮守府の組織のあり方や体系もタイムテーブルも不明。
艦娘がどうやって任務をこなすのか、どうやって戦うのか、考証がまったく為されてないからこうなってしまう。
艦娘の移動速度はどのぐらいなのか。隊列を組む際にどのぐらい個々の距離を開けるのか。砲撃の射程はどのぐらいか。雷撃時はどのぐらい敵に接近するのか。艦種によって立ち回りがどう違うのか。
これら全てに考証がなく、結果的に戦闘シーンは密集した艦娘が電車ごっこのように移動して立ち止まって砲撃するというギャグになっている。
艦娘の発進シーケンスを魔法少女の変身っぽく描写するようなミリタリーセンスの欠片もないスタッフに何を言っても無駄ではあろうけど、ゲーム艦これは一応その辺の要素が魅力の一つなので無視してほしくなかった。

キャククターデザイン、作画(動画を除く)、音楽、声優の演技、江田島や呉を思い出させる鎮守府の風景、そしてOP曲は良かったと思いました。

技術者は煉獄を歩く。「風立ちぬ」感想

TV放映された「風立ちぬ」を見ました。
公開当時はいろいろ考察がありましたけど、改めて自分でみると、なんでこれ映画館に見に行かなかったのか大傑作じゃないかと思いました。
技術者の半生。子供の頃の夢は、美しい草原に美しい飛行機が飛ぶものだった。実際に歩いてみれば足元には残骸が積み重なり、自分が設計した飛行機は一機も戻ってこない。
戦争という影がなかったとしても、技術者の人生とはそういうものだ。失敗だけが専門家を育てるのだとしたら、今まで手がけたものの残骸を積み上げたその上に専門家は立っている。
請負で物を作る以上は要求と納期が優先であり、自分の理想の機械を作る機会は巡ってこない。技術者は煉獄を歩くのだ。

ところで、主人公周りの描写がメッッチャわかりすぎて困った。
人間に対して関心の薄い振る舞いや、上司との関係、結婚することについて上司に「堅物のお前がw」と冗談言われた時の「僕そんなに堅物じゃないっすよ」みたいな表情、失敗機の残骸を眺める時の心情、ラストシーンで編隊飛行をする艦載機を見るときの、疲れとある種の絶望が顔に染み付いてしまった様子とか。
うっわー技術者ってこうだ、まさにこの通りだわ!!!と叫びたくなるぐらい。上司二人もいるわーこういう人!っていう。
恋愛部分はシンプルなんでわかりやすいけど、技術者な部分は心情含め全然理解できない人がいるというのも納得できる。
これ実際にそういう立場を経験したことがある人でないと掴めない感情が描写されているので、わかる人が見に行けば感想は全く変わると思う。

アニメ艦これ2話を見て、視聴の姿勢を掴む

アニメ艦これ2話を見ました。これはスト魔女ですわ。

ストライクウイッチーズ、略してストパンまたはスト魔女。
私は2期しか見てないのですが、このアニメは
・設定について深く考えてはいけない。そもそもズボンはいてない時点で (ry
・軍隊の体裁だが、基地にいるときの各人の行動が超ユルい
・視聴者の煩悩を加速する演出が山盛り
というもので、これで特に評価が低いわけでもなくむしろ高い。

で、アニメ艦これの1話は概要紹介みたいなもので、2話の構成はスト魔女を連想させるものでした。
確かに、擬人化(女性)や中破脱衣設定を取り出すと、こういう方向性はアリだなーと煩悩を活性化させながら思ったのでした。
入渠の設定がゲームそのまんまなのを見て笑ってしまったし。

艦娘は魔法少女である - アニメ艦これ 第1話を観て

※ 以下の文章はもちろん妄想です。

アニメ艦これが始まりました。
艦これというゲームは構成要素が雑多で、基底に流れるミリタリー要素、イラストレーションや擬人化が醸し出すファンタジー感、そして背後に流れる史実と、いろんな魅力があります。
で、アニメスタッフは艦これをどう見ているのか。
これについては発進シーンの意味を考えると何となく分かってきます。

アニメ艦これの発進シーンでは、人間は水上にいて、水底から艤装を鎖で引き上げてきて装着するというもので、ゲームプレイヤーからするとかなり意外なもの。
ゲームではそもそも船の擬人化なので、艤装を水中で保管しているイメージはない。部屋の中で艤装を手入れしてたりするし。
なぜこんなことになっているのか。それは、深海棲艦と艦娘は同一の存在だから。
つまり、
「沈没したかつての船 → 深海棲艦が生まれる → 水上に上がってきて人類に仇なす」
なので、同一存在である艦娘の艤装もまた、水中こそが本来の存在場所なのだ。
ところで、鎖で縛り付けて水底に保管するというのは、基本的には地上に出してはいけないものを封印する方法です。
あの発進場所は場面の暗さや鎖の乱雑さなど不気味な雰囲気があり、艤装はおそらく呪われた魔法装備のような位置付けなのだろう。
冷静に考えれば、かつて海に散った者達が怒りで人類を襲い、それに対抗するため同じモノを人類側に付かせて戦わせているデビルマン状態であり、そんなものがポジティブな存在であるわけがない。

というわけで、アニメの艦娘は軍艦ではなく魔法少女だ。
だからアニメ版の戦闘はおそらくストラテジでなくエモーションで決まる。
軍艦種別による分業、兵装の用途そして使い分け、理に通った戦術。それらはことごとく放棄され、個々人の想いや意志が勝敗を決める世界が展開される。
そして、呪われた敵と表裏一体の存在であることがクローズアップされる。艦娘は轟沈して深海棲艦になり、深海棲艦が倒されて艦娘が生じる、この輪廻を描くために誰かが一度は轟沈するかもしれない。

個人的には、この手の作品はエモーション一辺倒ではなく、ストラテジとエモーションが程よく混ざっているほうが好ましいと思っていた。ガルパン、アルペジオ、そしてスト魔女ですら一定のストラテジを持っている。
しかしアニメ艦これではストラテジが無視されミリタリー成分は表面的なものに留まり、深海棲艦と艦娘との関係が主軸となるシリアス魔法少女モノとなりそうだ。

表裏一体…シリアス魔法少女…幻影…太陽…頭の中で何かが

全部乗せの超娯楽作品「楽園追放」(ネタバレ極小)

映画「楽園追放」見てきました。
例えば、演歌の中でも特に演歌してるものを「ド演歌」と呼ぶ。それに倣えばこの映画は「ドエンタテイメント」と呼んでいい。
物語も設定もそして映像も音楽も。グローバルなんぞどこ吹く風、俺たちはこういうのが好きなんだよ!という叫びを感じる。
いわゆる「前から見える尻」を3Dで実現した常時エロかわいいヒロイン、人を超えた存在だが世間知らずの少女と俗世間的な飄々とした男性という黄金コンビ、サイバーパンクでありウエスタンでありロボットアニメな設定、そして後半の超高速ロボットバトル、板野サーカスにレールガン。
音楽がオーケストラ風ではなくデジタルサウンドなのも良い。
楽園追放はフルCGでありこの分野は最近特に進歩がすごい。アルペジオやシドニアなどTVシリーズでも強烈な作品が出てきてるけど、楽園追放ではヒロインの造形とバトルのスピーディさが抜きん出ている。特に後者は心の中で「うおおおお!」と唸るぐらい圧倒的。
どこを切り取っても一般性など皆無、だけど俺たちにとっては極上のフルコース。楽園追放はやはり頭を空っぽにして見るのが正しい類の映画だ。

最強主人公と、最強へのアクセス特権を持つ主人公

ライトノベルなどで、最初から最強な主人公が気に食わないとかなんとかあるらしいですが。
最強主人公よりも、最強へのアクセス特権を持つ主人公の方が個人的には気に障ります。

その昔、劇場版ドラえもんのオチが「タイムパトロールを呼んでやっつけてもらう」「ドラミが来てすべてを解決」だったことがあって、子供心に何だこの展開は許せんと思ったりした。
ドラえもんが最強なのはいい、TV版からそうだしそれがドラえもんだから。でも劇場版のオチが他力本願じゃダメだろうと。
それがトラウマになったのだろうか、主人公は非力なんだけど強大な存在となぜか親しくてヤバくなったらその存在を利用して解決するという物語を受け付けなくなった。
「涼宮ハルヒの憂鬱」のように、アクセス特権や最強存在が拗くれてて思い通りに使えないようだと面白いんだけど、そのアクセス特権を土壇場でどストレートに使われるとテンション下がります。

劇場版まどかマギカの悪魔学

劇場版まどか☆マギカのネタバレ全開なので注意です。









まずそもそも、悪魔とは何か。
カトリック百科事典では、悪魔というものを定義するのに「神の敵手」という表現を用いている。つまり

悪魔とは、神の反像である。
神が出現しない限り、悪魔も出現しない。


世界には素敵なもの、残酷なもの、ひどいものなどが渾然となって存在しているが、人間にとって残酷なものでも神にとってはそうではない。
ヘラクレイトスの言葉を借りれば「神にとってはこの世の一切が正しい」のであって、それは悪ではなく、災いや死の脅威というたぐいのものである。

人間が神を「善なるもの」と定義したことにより、渾然一体だった善悪のうち悪が切り離され、世界が「秩序ある状態」になった。ただしそれは分断状態でもある。
世界の分断は抑圧として作用し、結果として分断以前の、原初状態への回帰願望を生んだ。
秩序以前への回帰。秩序を生んだのが神ならば、それは必然的に「神の反像」の形をとる。これがいわゆる悪魔主義(サタニズム)である。

ただし、これはあくまで人間の側から見た話で、世界は相変わらず神にとって「一切が正しい」ままである。
善悪というのは人間特有の問題だ。不死である神は善いことも残酷なことも分け隔てなく行なう。有限の命しか持たない人間がその諸行為を「自分の都合で」善いものと悪いものとに振り分ける。
死への脅威から生じる「自分の都合」。ショーペンハウアーが「個別の原理」と呼び、仏陀が「渇愛」と呼んだもの。これにより、一切が正しいはずの世界が善と悪に分かれて見えるのである。

まとめるとこういう流れになる。

原初状態(善悪が渾然一体) → 善神の出現による世界の分断(秩序の出現) → 原初状態への回帰願望(悪魔主義)




実のところ、概念まどかの出現以前と以後とで、エントロピー効率を除けば世界は大して変わっていない。
円環の理は魔法少女の希望も、それに伴う魔女の発生も否定しておらず、ただ現世への魔女出現を防いでいるだけ(終わりのときに迎えにくる = 救済)なのだ。
ただ、人間まどかを「自分の都合で」渇望するほむらは、最後の時に迎えにくるのを待ち続けるなどという、不確実で永すぎる道のりに耐えられなかったのだろう。神の救済を待てない信者というのは宗教の永遠のテーマでもある。
おとなしく神の迎えに従うのではなく、あくまで「自分の都合」を優先させた形で神への回帰を試みる。
このほむらの強烈な人間らしさに私はひどく共感してしまう。
プロフィール

waverider

Author:waverider

ああ、沖縄に行きたい…

最近の記事
カテゴリー
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。