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ダウンロード刑事罰化したのでテキトーに書きます

違法ダウンロード刑事罰化も決まったのでディストピアが来ますねたぶん。有識者によると。
ここからの話は全部記憶だけで書くので内容は多分間違ってる。

だいぶ前の話、まだパソコンが珍しかった頃、ジャストシステムだったかなー? が自社のソフトにプロテクトをかけたことがあって。
これにブチ切れた人がいて、その言い分は「ソフトを購入してるんだからコピーはできて当然。購入した後のことをメーカーに規制される筋合いはない」という内容だったように思う。インストールディスクを買ってるんだからユーザーがどう使おうが自由、と。
最近だと、Windowsかなんかが「パッケージの封を破った時点でライセンスに同意したものと見なす」と主張して話題になったような気もする。
インターネット黎明期にはwarezサイトという、商用ソフト本体やシリアルコードをupしてるサイトがあって、見つけるのもアクセスするのもダウンロードするのも難しくなるよう仕掛けられてた。テクニックや知識がないと近づけすらしないというハッカー文化。
当時のハッカー本には「Photoshop?もう持ってる(笑)」というギャグが載ってた。画像いじるのに選択肢が少なかった時代、Photoshopは「必要なのにクソ高いソフト」みたいな認識だった。
NapsterとWinMXのどっちが先に出てきたか忘れた。後者はなんかファイルの持ち主が許可しないとDLできない仕様だったらしく、「俺のこのファイルあげるからあなたのそのファイルください」みたいな交換文化があったらしい。今は亡きMacPowerに、WinMXにハマったらしき人が「ネットでの物々交換は新しい流通のあり方だ!」とぶち上げた記事が載ってたけど誰が書いてたか忘れた。
あと横浜かどっかにWinMXの神がいて、そいつの周辺地域のネット帯域が圧迫されて大迷惑みたいな噂話も聞いた。
MP3はえーと確か、MPManという携帯プレーヤーによって有名になった。iPodの前身みたいなもの。圧縮率が高い割に音質が良かったのでNapsterではこれが音源交換に使われた。
このころかなー? CDを作成できるドライブが一般化してCDの複製が容易になった。CDメーカーはコピーソフトが当初対応してなかったCD-EXTRAにしてみたりレッドブックに違反しない範囲で微妙にフォーマットいじったりしてスムーズにコピーできないようにしたけどドライブ屋あるいはライティングソフト屋ががんばってそれを回避するという小競り合いがあり、その結末はCCCDやレーベルゲートや私的複製保証金やCPRMといった境地にまで行き着くことになる。
Napsterは使うためのハードルが低かったので昔のwarezなんぞとは比較にならないぐらい巨大化して当然ながら問題になった。
P2P技術を使ってたけどシステムの中央に制御サーバーがある形で、そこを押さえられるとダメになるのは自明だった。だからAOLの技術者が趣味で、中央制御が必要ないgnutellaを開発した。ヤバいと思ったAOLは短時間のうちにそれを削除したが時既に遅し。これ以降は中央サーバを持たずクライアント同士が相互に通信するタイプが主流になる。本当のP2P。
WinMXは日本語が使えたので日本で人気があったけどup者が分かる仕様だったので逮捕者が出た。動いたのは京都府警だったような気もする。なのでup者を隠蔽できる仕組みを持つwinnyが開発され爆発的に流行した。WinMXと違って交換時の面倒がない。検索してDLするのを待つだけだったとか。
winnyはクライアント同士がリレーしてデータを運ぶので、自分がDLしなくても通信しまくる仕様だった。ADSLや光が普及する時期にwinnyが出てきたので「winnyは高帯域を使い切れる初めてのソフトなんです」と褒めてる人もいた。帯域というのは可能な限り空けておくものであって積極的に使い切るものではないと思うがどうだろうか。
ヨンがDVDのプロテクトを破って英雄視されたのもこの頃だった気がする。ヨンはハッカーにとっての自由の象徴になったがアメリカに入国するとヤバい身分になったので北欧に行ったと記憶しているが多分間違ってる。CSSを破るperlコードをTシャツにプリントしてた人もいた。同じノリで後年HD-DVDの解錠コードを嬉々として発表してる人がいたけどこれはあまり関係ない話。
DVDそのままだとサイズがでかいので、マイクロソフトのmpeg4実装をパクったDivXがよく使われてたらしい。最近名前を聞かなくなった。
winnyの話に戻すと、印象に残ってるのは次のような発言だ。
「winnyは超流通(ユーザーが望んだときに望んだ商品が手に入るという概念)を実現できる」これ言った人はどこかで拾ったらしいWindowsのソースコードを嬉々として公開してしまい自爆したと記憶している。
帯域を使い切る云々の話は少し前に書いた。
winnyの使い方や、人気ファイルを載せた雑誌もいくつかあった。悪用厳禁が合言葉。
そういえば現在Fate/Zeroというアニメが大人気放送中だけど、あれの大元であるFate/Staynightがちょうどこの頃発売で、有志がFateの「破損したインストールイメージ」をwinnyに放流しまくって違法コピーに対抗したらしい。ファイル名が同じだとそれが破損しているのかしていないのかがDLするまで判定できず手間が増えるためらしい。この作戦が本当か実行されたかどうかは知らない。
暴露ウイルスが流行ったときは「官公庁などの不正を暴くためにはwinnyのような暴露機構が必要」と言ってた人もいた。確か冗談でなく本気で言っていたと思う。
知り合いが日本公開前のT4をDVDに焼いたものを持ってきて「従兄弟がくれたけど見る?」と言ったのもこの頃だったか。全米公開 → 映像コピー → 有志が翻訳 → winnyに放流という流れができてたらしい。他の人はwinny入りのCDを持ってきて「何でも手に入るソフトって聞いたけど会社のPCに入れてみてもいい?」と訊いてきたので、「会社のに入れるな、自分で使ってもいいけど何が起きても知らん」と返答しておいた。
道交法と同じで、法律なので違反してはいけないんだけど実際にはそんな法律クソクラエ、車の運転ぐらい自分で善し悪し判断するわみたいな、建前と本音、法律と自己判断といったよくある二重性がwinny周辺にもたぶん出現していた。
そんなわけで作者が逮捕されると、前述のwinny語録に「winnyは包丁であり、使う人の問題であって作者に罪はない」という有名な一文が加わった。ついでに「プログラム作者を逮捕すると萎縮して技術が停滞する」というオプションも引っ付いてきた。winnyの特徴はup者の隠蔽なので、透明人間になって嫌な奴を刺し殺してもまず逮捕されない包丁だろうか。欲しくなる。
逮捕に伴ってwinny周辺の二重性はもっと強まった。ソフトに罪はない、作者に罪はない、でも使っているのが公になるとマズい。winny擁護者のうちで「私はwinnyがんがん使ってます!」と公言した人を見たことがない気がするが記憶違いだろう。ソフトのすばらしさを語る人間がそのソフトを使っていないはずがない。
二重性と言えば、「winnyなんかでDLする人はそれを制止したとしても結局はコンテンツを買わない」という主張もあった。今でもよく聞く。
そのあとはYouTubeやtorrentの時代。YouTubeについては日本のTV局が「とにかく全部消してくれ」と会見してた。使ってる人に言わせると、見逃したTV番組を見るのに便利らしい。確かにYouTubeのトップはその需要らしき動画が多い気がする。見逃し需要についてはwinnyのときも同じ主張があった。本来タダで見れるTV番組を後から見るだけなので損する人はいないという理屈らしい。
YouTubeに慣れてくると必ず「これ自分のPCに保存できないの?」と訊いてくる。今まで何人かに訊かれた。BGMだけ抜けないかとも訊かれる。とある20代の知り合いはCDを全く買わず、YouTubeで探してツールで音を抜いて終わりと言っていた。今自分が訊いているものをその場でローカル保存できるなら使い勝手としては最強に近いような気がする。ラジオを訊いていると「今かかった曲のタイトルを記憶しておきたい」と思うことがあるがタイトルどころか曲そのものを入手できるのだから。私は買った方がいろいろ楽だと思う。多分ジェネレーションギャップだろう。
そうだ、ローカルに保存した動画をDVDに焼けないかとも訊かれる。今までの質問は全部「知らない」と答えるようにしている。実際に知らない。


自分が受け取ったものに対して対価を支払うというのはおそらくただの習慣であって、倫理観や遵法精神などはあまり関係がない。
昔は音楽を手に入れようと思ったらTVやラジオでたまたま掛かったのを録音しておくか、レコード買うかレンタル、ぐらいしか選択肢がなかった。選択肢がなかったのでその行動に疑問を持つこともなかった。
TVのトレンディドラマやバラエティでプッシュされる曲を買う。ヒットチャートを見て良さそうな曲を買う。ラジオで掛かる曲を買う。有線で掛かる曲を買う。出口が買うかレンタルしかなかった。
CDが普及するとTVやラジオからの録音はあまりされなくなった。レンタルで借りてきてテープに落とした方が音質も良かったしフルが録音できたし。
今はネットがあるからネットで探してネットで見つけてその場でローカル保存すれば終わり。全部在宅作業である。モバイル環境なら家に戻る必要すらないかもしれない。そういえば着うたや着メロ職人とかモバイル周りだと、upしてくれた人に丁寧にお礼を言う文化があるらしい。曲そのものの作り手には言わない。カップラーメンをもらったときに「日清食品ありがとう」とは言わないしね。対価の行き先というのは自分の慣習によって決めるものであり客観性は介在しない。「DLする人はそれを制止したとしても結局はコンテンツを買わない」というよりも、「積極的にコンテンツに対価を支払う人はあんまりいない」のだ。フリーミアムは正しかった。タダで見られるが少々リスクがありますというのならタダを選ぶ人の方が多いのが現実であり、コンテンツ産業というのは購買行動を習慣化したりイベント化したりお祭り化しないと成立しなくなった。音楽産業の最大顧客は誰だろう。若い人たち?ならなおさらそうだろう、収入ないし。
音楽を聴く習慣、その習慣の形が変わってしまった。だからCD屋にもCDオーディオ売り場にも人はいなくなり、すべてがケータイ+ネットに集約、いや節約されていく。
結論もなくここで終わる。音楽産業斜陽化は要因いろいろあって語ってもどうしようもないし、何やかや語る前に音楽そのものを愛せよとも思った。
口論する人たち。そしてどこからか声が「私のこと、愛してくれる?」と。
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デザインから来る不信感について

あまりにも更新していないので広告表示のペナルティを喰らっていた。「広告表示がペナルティ」というのがあからさますぎて良いのか悪いのか。

Facebookのトップページを見てると、あまりにもシンプルすぎて逆に胡散臭い感じがする。
説明文がまず具体的ではないし。「つながりを深められます」って、どうやって? という。
Googleの台頭によって、海外のWebサービスはトップページが説明最小、とにかくログインしなよ! 見たいなのが大勢だけど、これは何というか詐欺商売のデザインと似ている。
詐欺商売の広告の特徴は「説明に具体性が無い」「とにかく入れなどという」「美辞麗句を並べ立てる」etc… だけど、このパターンにモロ当てはまるというか。
逆に、Yahoo! Japanなみにゴチャゴチャしてると安心する。たぶん現実のいわゆる入会受付みたいなのがこのぐらいゴチャゴチャしてるから(役所や銀行の窓口とか)だと思う。

MIAU Presents ​ネットの羅針盤『大激論! 都​条例改正案に賛成? 反対?』 見た

規制賛成派が出席していなかったので激論にはならなかったけど、話の内容はわかりやすく、かつ面白かった。
記憶を辿る…

・規制賛成派にも声をかけたが、スケジュールの都合やら何やらで参加者なし。
・マンガのような抽象的な絵を見て欲情するのを制限する、これは感情の制限であり治安維持法の類い
・審議のプロセスがとにかく不透明。事務会の時点でもう方向性が確定してる
・チャタレイ裁判では「風紀を守る」とされちゃった。
・特定の表現物が不健全だと法で決める。それは特定の思想の元に立法するということで、政教分離の原則に反する
・妄想が創作のエネルギー。それを止めろといわれたら戦うしかない
・児童の定義の幅が広すぎる。18歳以下だと高校生も含まれる
・オリンピック誘致の時? IOCの委員に「マンガとケータイとゲームが若者をダメにしてる」といわれたらしい。
 それが今回の規制推進の出発点?
・法律の狙いが風紀に移っている。警察が出てくる?
・法で規制するのは経済的に無駄あり過ぎ。規制団体とか天下り団体を作りまくりになる
・網がかかる範囲が広すぎるし影響もでかい。ゴキブリを殺すのに限定核を使うようなもの。放射能も残る。
・日本のマンガは、子供向けのものをエロティックに読み替えることで進化してきた。
 (描線とかが潜在的にエロいということ? 手塚治虫も描線がエロいし)
 外観が子供向けなのにエロい = 海外から見ると仰天される。
 だから、マンガなどに対して嫌悪感があるのは理解できるし、ゾーニングも最終的には破綻する(これは哲学モードの極論として述べられた)
・野放しと思われているが、ゾーニングはしっかり為されている。規制賛成派はそれを把握していないのでは?
・「負の感情の外部性」。(うろ覚え)「隣人がエロマンガを読んでるらしい、キモいので規制してくれ」みたいな。
 これを全否定はできない。かなり厄介な問題。故に議論の積み重ねが必要だが、規制賛成派の推進プロセスが強引すぎる。
・両者とも、双方を誤解している感がある。一同に会して意見を提出していけば、かなりの擦り合わせが可能なのでは?
・賛成派は反対が集う場に出向く、逆に反対派は賛成派が集う場に出向くことが必要。

個人的な感想では、後半、東氏のターンがちょっと長かった気がする。
哲学者らしく話が根源的で、かつ規制派代弁役になっていたのでしょうがないといえばしょうがない。
あと、東氏は新しいプリキュアに完全にハートキャッチされた模様。

技術革命、流通革命

GoogleとかiTunesとかAmazon Kindleとかって、その性質から考えると技術革命というよりは流通革命と呼んだほうがいい。
そうすれば、「技術革新は常に正しい」と主張するような、現状認識と現状肯定を混同する手合いを除去できそう。
流通経路の支配権争い、みたいな話もできるようになるか。

電子書籍、それはバラ色の未来か?

AmazonのKindleが日本で本格的に展開しそうだったり、国内出版社が電子書籍に関して団結したり、噂になってるAppleタブレットがKindleっぽいものらしかったりと、電子書籍ビジネス夜明け前、みたいな雰囲気になってますが。
電子書籍ビジネスの流れそのものは止まらない。でもそれがバラ色の未来かというと、それは怪しいと思う。

ホルダーがコンテンツをつくらないプラットホームは微妙 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
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NG発言連発!大手ゲームメーカーが激論を交わした「ぶっちゃけ iPhone ゲームどうよ」ログ公開。

こういう記事を読んで思うこと。
電子書籍ビジネスにより出版社のような組織を介さず出版ができたとしても、宣伝の問題が残る。
「著者の取り分は増える」とか「1000人のハードコアなファンがいれば食っていける」とか言うけど、そもそも自分の商品の存在をどうやって知ってもらうんですか? という。
iPhone AppStoreの状況を見る限り、それはすべての執筆者が広告活動に奔走せざるを得ないような過酷な状況を生むんじゃないか?
AppBankのような影響力あるサイトに対して粘り強く営業したり、トップ10に食い込むためにコネやら何やらを駆使したり、Googleみたいなネット広告業者にお布施を払ったり、終わりの見えない値下げ競争をしたり。
そういう、現在だと出版社(の広報部門)がやってる仕事を、執筆者が独力でやれと?

最初から知名度が高かったり、宣伝活動に関して強力な支援者とつるめる人ならいいかもしれん。
でもそうではない人にとっては、何の救いもない、むしろ悲惨さが増すのではないだろうか。
一個人としてみると、これは「誰が宣伝に関して影響力を持つのか」が、出版社や本屋などの旧勢力からIT関係の新勢力に取って代わるだけに見えるし、後者は前者よりもノリや刹那性を重視する傾向があるので、悪い意味でのポップカルチャー化が進むような気がする。(かなり気の早い話ではあるけど)

# Amazon DTPが価格下限を制限してるのは、値下げ競争が起きるのを避けるためかな?
# 個人的には、紙の印刷物に負けない視認性を実現してくれないとデバイスを買う気にならんけど。

欧米の空気が読めないから日本発サービスは勝てない?

なぜふぁぼったーは英語圏で負けたのか より。

例えばWebサービスをイチから運営するという話なら、現地ネイティブでないと勝ちにくいという結論でもおかしくはない。
でも、favotterって、twitterの外部かつ単機能サービスだろう?
サイト見ても文字列なんて10行もない。こんな簡素なサイトで言語の壁?
言語の壁とか現地ネイティブとかいう話はただの一般論じゃなかろうか。

favotterは「個人の趣味ページを動的生成」という概念でデザインされてる。
だからページの頭によけいな物が多い。長い説明文、update日付、管理者の名前。
例えば普通のアプリケーションで、長い説明文やupdate日付や作者の名前などが常時表示されてるようなものがあるだろうか? あったらかなりウザい。
ライバルのfavstarを見ればわかるが、単機能サービスなんだから「GUIアプリのようなデザイン」の方がいい。

説明文はもっと短くして(1時間ごとに更新…みたいな細かい事柄はFAQにでも書いときゃいい)、できればタイトルロゴ画像に埋め込んでしまうとか。
タイトルロゴがFavotterなのに、すぐ下にまたfavotterと書いてあるのはスペースの無駄、だとか。
update timeとか管理者名とかはページの最下段に移動するとか。
NEWとかHOTとかのタブは左寄せにして、すぐ下のfav数切り替えをもっと大きく見せるとか。「3 favs」みたいに数字と文字の間を空けるとか。
トップページはJapaneseとEnglishを選択させるだけの画面にして、欧米のユーザーがいきなり日本語ページを開くのを防ぐとか。
IDサーチのボタンを「Jump」じゃなくて「Search」に直すとか。
メインページから目障りなQRコードをなくすとか。
Paypalの寄付ボタンをメインページにデンと置くんじゃなくて、"Help to make favotter even better! → [donate]" みたいなデザインにして、Cyberduckの寄付ページのような説明ページに飛ばすとか。
etc, etc…

ネットで文章がスムーズに書けない

なんかねえ、反応を考えて刺々しくない言葉選びをしてるというか。
語尾に「ね」を多用したりとか。クソめんどくさい。
普段インチキ広島弁でしゃべってるのに、どうやって標準語の文章をスムーズに書きゃいいんだ?
時間書けて推敲しても書いてる内容や反応に変わりがないなら、こだわるだけ無意味かよ。
でもくだらねえこと書いたら、ネットに同化したブードゥの神が降りてきやがる。
つーか、ブードゥの神しかこのブログを読んでないのか。
ハイチの神が気が向いた時に人間をかっ食らってるようなもんだ。
お前らの食料になるためにネットに居るわけじゃねーよ。

と、こんな文章すらスムーズに出せない。ことえりでうって変換、うって変換、その間に誤字チェック、脱字チェック、タイプミスのチェック。
インプットメソッド経由じゃ思考がスムーズに出せない。変換効率および精度が悪すぎて、文章を綴る行為が断片的になる。
かわせみもしばらく試用してみたけどことえりと大して変わらない。

次からはもっとしょうもない感じで書いていこう。思いつきを。そのまま。神を恐れずに。

スタイルシートにOsakaを指定するなっつーの

font-familyにOsakaを書くような、時代錯誤のフォント指定は消えてなくなってほしい。
いつまでClassic Mac OSに配慮してるの? 棺桶に入ってからもう6年経つだろーが。
Mac OS Xのシステム標準フォントはヒラギノ角ゴw3 13ptですから!
正確には3種ぐらいのフォントのハイブリッド表示だけどまあヒラギノ角ゴでやっときゃ間違いない。
ブラウザごとの対応がめんどくさい? font-familyになんて書いたらいいかわからない?
そんなときは「Lucida Grande」って書いときゃいい。
これはフォントのマジックワードで、「Lucida Grandeはシステム標準フォントと認識されるので、OS側でヒラギノ角ゴに置き換えてくれる」から。

# これはMac OS Xの言語環境切り替えから来ている仕様で、FirefoxでもSafariでもCaminoでも有効。

繰り返される革新

Napsterで。WinMXで。winnyで。YouTubeで。Tumblrで。あとなんかいろいろ。
膨大なリソース、従来ならば相応の対価を支払わないとアクセスできなかったリソース、それらが眼前に開かれたときの台詞はいつも同じ「これぞ革新」。
ダイハードでテロリストを模した泥棒たちも、大金庫が開いたときにそうやって狂喜乱舞してた。
ただし彼らは革新とは言わず、「メリークリスマス!」と叫んでたけど。

コラージュ人格

tumblrとかtwitterとかで、どこからか引用してきた大量の素材でページを形成していると、それが人格の発露と見なされる。
行き着く先は映画「イノセンス」か。ネット出現以前の古典の引用だけが意味あるものとして見なされるような。
いや、コミュニケーションにおける攻撃と防御を突き詰めた果てに出現する、「誰も自分の言葉で会話しようとしない世界」かも。
プロフィール

waverider

Author:waverider

ああ、沖縄に行きたい…

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