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ツッコミに報酬を与えるな

ある哲学者によれば、心というものの正体は「納得できないという感情の蓄積」なんだそうだ。だから悪事は千里を走り、集まればだれかの悪口を囁き、良いことよりも悪いことのほうが多く拡散される。

・すべての発言が評価され、ポイントの高い発言には報酬が与えられる
・発言者と評価者は同じ価値観を持ち、判断基準は流動的
・マズい発言には相応のペナルティが下される
以上のゲームルールにおいて手っ取り早くポイントを稼ぐにはツッコミか揶揄に徹すればいい。他人の悪事は拡散しやすいし、自分は安全圏に居座って高みの見物ができる。

だから、その発言に報酬を与えてはいけない。拡散しない、お気に入りに入れない、返答しない。
正当な批判はひとつあればよく、自己のポイントアップにしか興味のない輩に余計な報酬を与える必要はない。
アクションを起こせばそれは数字という報酬を与える結果になる。「批判に対する最良の対応は、それを無視することである」という金言に従おう。
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一年

あの人が亡くなってから一年が経った。
生前には、かなり助けてもらったと思う。雑談したり、一緒に飯を食べたり。
一年前、休み明けに亡くなったと知らされて通夜に行き、そこで全ての縁が終わりになった。
医療過誤による、あっという間の死。休みの前には年末だねえ、もう心は休日ですよ〜、なんて話を二人でしていたのに。
残された家族は自宅を引き払ったので連絡先もわからず、墓参りもできないまま。
今でも、街中で似たような背格好の人を見かけて目で追ってしまうことがある。居なくなったということをよくわかっていないのかもしれない。「記憶の中で生き続ける」という感覚が少しだけ理解できるようになった。

大河ドラマの最終回は主人公が老いて死ぬところで終わったが、あのようなドラマチックな死はやはりフィクションで、死は唐突に訪れる。会議中に昏倒、駅で昏倒、医療過誤、交通事故。
いまだに、他人の死も自分の死も、どうにも覚悟や準備ができないままになっている。亡くなった後ですら完璧には受け入れていない自分がいる。

不良グループ

ケンカが強い不良達が、何とはなしに群れて、グループを作っていた。
かっちりしたチームというわけでもないが、徒党を組んで街を歩き、不逞の輩がいればケンカを売って殴る蹴るで負け知らず。
肩で風を切って歩き、彼らを慕うもの、賛辞を贈るものも現れた。

そしてここに、ケンカが強いわけでもない小さな男が一人。
不良グループに憧れ、彼らの後を見よう見まねでついていく。見た目だけでも箔をつけるためにサングラスを付けてみたり。
しかしケンカというのは実力が伴わないとどうしようもない。ケンカを売るにしても殴り合いはせず、弱いと分かっている一般人にせいぜい罵声を浴びせる程度。不良グループのようにもてはやされることもない。

いつものように不良グループが集まって雑談をしていると、そのうちの一人の女が、自分たちのことを語り始めた。
あの先輩は静かにしてるけど昔は何人も半殺しにしたとか、あいつは田舎者を見ると殴り掛かる癖があってとか。
からかった口調ではあるがつまるところは彼らの武勇伝であり、他の連中も笑いながらその話に乗っている。
女の視界にサングラスをかけた小さい男が映った。カッコだけの金魚のフン。実力は無いくせにグループにしつこく入ってこようとしてる奴。
次は彼をからかおうと女は思った。彼の実力に合わせた形で。

「ところでさ、私サングラス付けてる奴って嫌いなのよ。目を隠すのは自分に自信がないからでしょ」
そんな振りで、名指しするわけでもなく、女は話を続ける。
「気ィ引こうと思っていろいろやってる奴いるじゃん? そういうのに限って誰も見てくれないよね。クールな振りしてるけどホントは俺にもっと注目してくれよ!とか思ってんでしょ、バレバレだから」
「人の気を引く簡単な方法みたいなのって無いから。私も昔いろいろやってみたけどやっぱダメだったしw」
「どうすればいいって? 簡単だよ私とおなじことすればいいじゃん。実力ない奴にはマネできないだろうけどさw」
小さい男は黙ったまま。

女は続ける。
「弱くて実力ないんだったら刃物持つしかないよねー。そうすりゃザコでもイキがれるじゃん。さっさと刃物持てって話だよ」

自分が狂っていないか確かめるには

悲惨な犯罪、ひどい事件が報道されるたびに考える。
自分が狂っていないか確かめる方法はあるのか?と。

本当に狂っている人間というのは、狂っていることを自覚できない。
アウシュビッツの看守ではないが、自分が何気なくやっている行動や思考が実はおかしい場合、他人から指摘されても自覚できる可能性はそれほど高くないように思う。
胸に手を当てて考えてみれば、思い当たることがいくつもある。
キチガイじゃねーかとかボケ老人じゃねーかと切って捨てられるうちは幸せだ。あれは将来の自分の姿じゃないのか、と。

社会的なつながりを欠くと、客観性、言い換えると他者の視点が失われていって狂気が増大するのだろう。
だからニュースを見たり、他人と話をしたり、そういうわずかな事柄を絶やさないようにするしかない。

愚か者探し

朝日新聞webで、高速道路でレンタカーが追突されたというニュースが載っていた。アクセルを踏んでいるのに車が徐々に停止してしまい、その直後に追突されたと。
原因はいくつも考えられる。ガス欠か、タイミングベルトが切れたか、その他いろいろ。車が突然故障するというのは別段珍しい話ではない。決められたスパンでちゃんと整備していても故障するときは故障するし、油断してガス欠というのもよくあるミスだ。知り合いが新車で高速を走ってたらリザーブランプが壊れててガス欠した話を思い出した。

ところで、こういうよくある事故をなぜ朝日新聞が取り上げたんだろう。ほかにニュースがなくて紙面が埋まらなかったとか? そもそも交通事故なんて毎日どこかで起こっていることだろうに。
たぶん、朝日新聞は愚か者の存在を幻視したのでないだろうか。整備を怠った愚かなレンタカー会社。ガス欠に気付かなかった愚かなドライバー。義務を怠りその愚かさで他人に迷惑をかけるパブリックエネミーがいるぞ、と。

事故の原因を調べるとき、「そいつが愚かであった以上の理由を探すな」という格言がある。これは裏読みするなという意味なんだけど、事故究明および改善にあたる人間以外が介入してくると、愚かである = 攻撃してもいいという認識だけが走り出すので悲惨で非建設的な事態に発展する。
放射能や偽科学方面のあれこれをみても正しさを刃物にして人間を切り伏せたい手合いばかりで、理性とは何ぞやといいたくなる。

新人さんのこと

少し前から新人さんに仕事を振っている。その人の振る舞いが昔の私と全く同じで複雑な気分になる。自分の駆け出しのころがいかにひどかったのか鏡を見るようで呻いてしまう。

説明はハイハイと聞いてるんだけど理解度がイマイチ足りないので粗い結果が帰ってくる。
でも説明してるときには「ここはどうなってるんですか?」などと質問してこない。にっちもさっちもいかなくなってからやっと聞きにくる。
表面的にしか理解していないので説明時には質問できないわけだ。よくあるよくある。慇懃無礼に静かにしているだけってやつ。

この人は「私から与えられた仕事を上手に処理する = 仕事をこなす」という勘違いをしている。
実のところ、私が望んでいることは「正しい結果が返ってくる」ことだ。そのためにはいくらでも質問してもらえればいいし、作業の途中でわからないところがあれば聞きにくればいい。そもそも私の指示は超適当なんだし。
ところが新人さんは「上手に処理しようとする」ので、独りで延々と作業したあげくおかしな結果を持ってくるという非常にありがちなサイクルをやらかす。そうなる前に聞きにくればいいんだけど、仕事への理解が足りないので何を聞いたらいいのかもわからないのだろう。

では、仕事への理解というのは何だろう。
この場合だと「シミュレーションしない・できない」「仕事の目標点を正しく認識していない」の二つになる。

例えば、「朝9時までに○○に集合しなさい」という指示をしたとする。それを聞いたときに、実際にそこに集合するまでのシークエンスを脳内でシミュレーションするかどうか。彼はシミュレーションしようとしないので当日になってからドタバタするという感じ。
実際のところ、最初の指示だと情報が全く足りていない。これが経験豊富な人だと「交通手段は?」「服装は?」「トラブったときの連絡先は?」「持っていくものは?」などと聞き返してくる。
この「シミュレーションする意志」は、経験および失敗なしには身に付かないと私は考えている。専門家とは失敗した数のことだけ…という名言もある。これがいきなり出来る優秀な人もいるが、出来ないときは経験して失敗して身につけるしかない。

そして新人さんは、「仕事をする = 私から与えられた指示をこなす」という勘違いをしている。私が本当に期待していることは「要求仕様を満たすこと」なのに。
また例え話になるけど…私は最初に要求仕様を説明する。「朝10時から打ち合わせをする」と。その次に細かいところを説明する。例えば9時までに駅に来る、服装はこれ、用意するものはこれ…という調子で。
そうやって説明していると、新人さんは後者の、つまり細部を満たすことが仕事を完遂することだという勘違いをする。やってほしいことはあくまで要求仕様の完遂であり、それが満たせるなら細部を変えても問題ないしむしろ変えるべき場合も生じるし質問も増えるってもんだけど、そこを勘違いしているのでちょっとイレギュラーがあると対応できなくなる。そしてそれを相談に来ないというデススパイラルである。
デススパイラルはさすがにマズいので、この前「そうなる前に聞きにこい」的なことを言ったら少し聞きに来るようになった。
あと、根本的に態度が受け身というのもあるのよねえ。これは本人の性格の問題なので急にどうこうできるもんでもない。

今のところ仕事の "やり方" について特にアドバイスはしてないんだけど、そろそろ具体的にああだこうだ言わないとヤバい感じはしている。
取りあえず、仕事を貰いに来るときは手ぶらで来ずにメモ書きかなにか持ってくるようにしてがんがんメモを取れ、あたりから言ってみよう。これも本人に合っているやり方かどうかわからないけど、黙って聞いているよりはマシだろうと思うから。

琴平の某ホテルで、出るらしい

追記:関係者に確認したところ、この話はホテル改築前の話とのこと。
改築後に出るかどうかは未確認、らしい。

金刀比羅さんの近くに、琴平なんとかいう名前のビジネスホテルがありまして。
そこの特定の部屋に、出る、という話を聞いた。

私も知っている別部署のおふたりが体験したそうな。
TVのチャンネルが操作しないのにガンガン切り替わったり。
部屋の中に立っていたり。
夜中に、廊下を走る子供の声が聞こえ、扉をノックしてきたり。

体験したうちのひとりは、それで胃に穴があいたらしい。
自分に霊感が無くてよかった…

Wassrを始めてみた

waveriderのつぶやき
まだ、使い勝手が良く分からない。

ネガティブな感情から始まる言説はタチが悪い

Webでときどき見かける、疑似科学やニセ科学に対する批判や、「彼女が欲しいと吠えるオタクは~~というメカニズムなのです」といった言説について。
こういう言説は大抵の場合、ある対象に対して抱いた「不快だ!」という感情から始まっている。
ニセ科学は呪術の一種であるとか、オタクの恋愛思考は~という理由によりダメであるといった、一見すると論理的な思考は、「そんな与太話信じるとかww馬鹿すぎるww」とか「オタクがリアル彼女欲しいとかキメェんだよ」といった瞬間的でネガティブな感情を外部に発露するための"理由付け" でしかない。従って、その言説には建設性が欠落することになる。
これは、2chなんかでときどき見られる「韓国人がウザい → 韓国人って犬を食べるらしいね → 韓国人の未発達ぶりが証明されました」という思考展開と大差がない。
とある人や集団を不快に感じたとして、「~という理由によりこいつらが愚かなのは明白です」などとやるのは、そこで行われた "愚かさの証明" が正しく見える場合はかなり危険だ。なぜなら、その証明は人や集団を迫害する"正当な理由" に使われるから。論理的に展開されたバッシング言説は、「オタクきめぇ」のような感情onlyの罵声に比べて遥かにタチが悪いと思う。

追記:2008-09-16
日が経って見直してみると、まさにブーメランで我ながらひどすぎる。
亡霊を血眼になって追いかけていたら自分も亡霊でした…みたいな。「影の現象学」を読み直して反省しよう…

深く考えずに書こう

最近物事を考えすぎてよくない。
思いついた事を簡単な推敲で書くことにしよう。世に真実を問うなんてのを志向している訳ではないし。


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ああ、沖縄に行きたい…

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