スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

フレッツ光が来たので、Mac OS Xのパラメータ設定を見直す

ついに我が家にフレッツ光が来た!というわけで、ADSL用だったパラメータ設定を見直してみた。
AppleからBroadband Tunerが提供されているけど、/private/etc/sysctl.confを作るというやり方が個人的に気に入らないので、StartupItemsを使ってsysctlコマンドを実行させるようにした。(RMACの真似)
NTT西日本によると、フレッツ光プレミアムのMTU=1438なので、
ifconfig en0 mtu 1438
さらに、Broadband Tunerの設定を参考に
sysctl -w net.inet.tcp.sendspace=130014 (1398 x 93)
sysctl -w net.inet.tcp.recvspace=510270 (1398 x 365)
sysctl -w net.inet.udp.recvspace=510270
sysctl -w kern.ipc.kern.ipc.maxsockbuf= 512000
としてみた。
これで下り速度が28Mbpsから48Mbpsに上がった。最近の高性能Macならもう少しいい結果が出るかもしれない。

スポンサーサイト

人斬りはフロイト主義を振るう

戦闘美少女がどうのこうのという話について。
「劇画を読んだら手を洗おう、少女マンガを読む前に手を洗おう」という言葉は今から30年ぐらい前だっけ?
倒錯性のある作品に興じるごく一部の人達を、フロイト主義あたりで切り捨てる。
この構図は30から40年ぐらい前、男性が少女マンガを読みはじめた時から廃れることなく続いている。
フロイト主義は人間本能に基づくが故に万能である。「取りあえずフロイト主義で斬っとけばおk」ぐらいの冴える切れ味。ただの人斬りがこういう刀を好んで振るう。

(銀魂より引用)
妙「バナナは男性器に見たてる事ができる 恐らく九ちゃんは男性への憧れから無意識にバナナをむさぼり求…」
お登勢「しょうもねー考察いらねーから!!」

iPhoneの影響力が上陸前から拡大中

iPhoneが発表された時、「国内の携帯電話開発者は眠れない日々を過ごすことになる」と予言した方がいたが、現実にその通りになりつつある。
まず、先日登場したW-Zero3の上位機種が最初の犠牲者になった。載っているWindowsMobileが元々あまり良くないらしいけど、iPhoneと比較されて散々な評価を食らっている模様。
digg.com経由 The Power of good UI Designを見ても分かる通り、iPhoneのUIパワーは強烈だ。MacintoshやiPodに続く「UIによる市場ルールの改変」がiPhoneで再び起きるかも?

言葉:「音楽は、それが表現している対象そのもの」

1993年に発売された「聖剣伝説2 オリジナルサウンドバージョン」がiTunes Storeで人気を維持している。
当時のCDには、作曲者である菊田裕樹氏のコメントが添えられていた。情熱あふれる言葉のすべてを、14年の時を超えて。

 音楽はメッセージではない。
 例えばそれは僕の心の中に湧き起こった様々な感情や衝動を、僕自身のものとして表現するひとつの手段ではあるのだけれども、それは決して、単なる記号であるべきではないと、僕は考える。
 一般的に「音楽」と呼ばれる、ある音の連なりが、そのパターンに対応する特定の感情を引き起こすというのは事実ではあるし、ドラマに於ける劇的演出などのように、極端に突出した心理的状況を、且つ迅速に構築せねばならない場合には、そういった「音楽」が本質的に内包している感情装置としてのメカニズムが、極めて有効に働く場合も多いということは、踏まえたうえで。
 それでもやはり、音楽は、ある特定の事象や情動に対応するというだけの「記号」に堕してしまってはならないと、僕は言いたい。音楽はメッセージであってはいけない。音楽は、ある事柄や状態についての情報(メッセージ)を、伝達するためだけの道具ではないはずだ。
 極論を承知で敢えて言うならば、音楽は僕にとって、それが表現している「対象そのもの」である。自分のなかに内在する様々な要素、あるいは思考であり、あるいは感情であり、あるいは意識のレベルにさえ上がってこないような何か、そういった「自分自身を構成するパーツ達」を掻き集め、濃縮し、より純度の高いものに精錬し、最終的に音楽的創作という形に結晶させることこそが、音という、言葉の壁を越えて人の心に直截に働きかける表現手段を手中にした者の、目指すべきところではないかと僕は思う。
 僕は音楽を創ることによって、君達に何かを言いたいのではない。君たちと美を、そして人間の心の中にある何か大切なものを共有したいのだ。僕が喜びにあふれた曲を創るとき、その喜びは僕にとって本物でありたい。僕が切ない曲を創るとき、その悲しみは真に僕の心を切り裂いているものであるべきだ。なぜなら、率直であること、嘘偽りのないことは、すべてのコミュニケーションの基本にある宝物だと、僕は信じているからだ。
 今回の、聖剣伝説2というプロジェクトを手掛けるに当たって、僕が最初にしなければならなかったことは、自分の、ゲームミュージックというものに対するスタンスを明確にすることだった。音楽によって「僕自身」を表現することと「聖剣伝説2というゲーム」を表現することは、幾分重なり合う部分はあるものの、基本的には別である。その異なる二つのベクトルの間を取り結び、全体として一つのコンセプトで貫くことによって、単なるポップミュージックでも、単なるゲームミュージックでもない「何か」を創造する。それが、この仕事における、僕の出発点だったのだ。確かに、スーパーファミコンの持つ、ソフト的ハード的な制約を前にしたときに、そういう方法を選ぶことは、非常にリスキーであったと言わざるを得ないし、実際に、作業には様々な困難が付きまとった。あるいは本当に無謀な試みだったのかもしれないが、そういう類の挑戦的創作態度も、僕の身上なのだと心得ている。今はただ、その努力が無駄に終わらなかったことを感謝するのみだ。
 最後に、晴れて出版の運びとなったこの作品を、今まで僕を支えてくれたすべての人達に捧げたい。心より。感謝をこめて。
きくたひろき

電脳コイル:迷路の用途

たまごまごごはん - 電脳コイル考察あれこれを読んで。

まず、方違えとは、「凶となる方角への移動を避けるために迂回路を行くこと」であり、電脳コイルのように「特定の道順をたどることで秘密に辿り着く」というものではありません。

寺山修司は迷路の用途についていくつかの例を挙げている。その中のくだり。
『宗教的用途 = 人間の天国への旅を妨げる試練。迷路模様として用いられる「螺旋」は、「隠れた中心へ導く、遠回りの小道」という意味を持っている』
迷宮というのは、秘密を掴むために負うべき試練の一形態というわけ。
「秘密」は選ばれた者にだけ開かれるという性質を持つ。従って謎めいた方式が推奨される。みんなが知らない方法。特定の材料、特定の時間、特定の手順。

鬼頭莫宏は鳥山明に似ている

2chの中で「ドラゴンボールは思想性がなくエンタテイメントだけで出来ているのが凄いんだ」という発言があって、なるほど!と思ったことがある。
鬼頭莫宏も同じで、いかに読者の注目を集めるか、興味を持続させるかというあたりを最優先にしている印象がある。
ベクトルは正反対だけど、エンターテインメントのみを指向しているという点で鳥山明と似ている。藤田和日郎と対極の作家という感じ。

言葉:「共通認識からこぼれてしまったものの塊、それが心」

TVをつけるとちょうど「爆笑問題のニッポンの教養」をやっていて、哲学者の野矢さんという方が「心とは何か」という話をしていた。録画していなかったので細部が不鮮明だけど、確かこんな内容だった。

「他の人と認識が一致しなかった部分、納得できないんだけど取りあえず保留…そういう、共通認識からこぼれてしまったものの塊、それが心なんだと僕は思う」

前回?の電気自動車も面白かったし、次回「人間は失敗作だ」も面白そう。

ゴールデンタイム、ファミリーはTVを見ずにWiiに夢中?

digg.com経由、Timesの記事によると、フジテレビおよびTBSの偉いさんがそのようなことを言ったらしい。
先週、「視聴率9%を超えた番組が一本も出なかった」という、ここ20年で初めての恐るべき事態が起きた。TBSの偉いさん曰く、
「今までも多少の振れはあったが、ここまで減少したのは初めて。これは外部に原因がある。視聴率を計れない携帯電話でTVが見られているのもあるが、大きな要因はWiiに時間を奪われていることだ」

記者の考察では、「夜7時から9時のチャンネル決定者 -日本の親たち - は、TVよりもよりインタラクティブなものに惹かれている」とのこと。

一言居士が盛り上がりそうな話題やねえ。

最近の話題で気になったもの

1. 共同出版・自費出版について
知り合いから相談されてネットで評判を調べたのが1年半前。
「共同出版・自費出版は悪徳商法です!」という広報がそろそろ必要なのでは。

2. PS2がひっそりコストダウン
/.jp該当トピックの低空飛行っぷりが凄まじい。世界的な資材原価upに誰も言及してないなあ。

3. アイドルマスターとPerfume
不死性を帯びる者の強さ。
「生まれついてのdoll」と「dollを演じるもの」との絶望的な差。
どこまでいっても、生物の持つ生理 - 代謝、老化、不完全な表皮、非平衡解放系であるが故の不安定性 - から逃れられない、制約付きのIdol。対するは、一切の制約を受けないモニタ内の完璧なIdol。その残酷な対比。

言葉:「二流のヌーベルヴァーグを選択したい」

1992年にリリースされたZUNTATAのアルバム「ヌーベルヴァーグ」。そのライナーノートでは、VGMのあり方について語られている。
語られた言葉は、VGMだけじゃなく、すべてのポップカルチャーに通じるものだった。そのすべてをここに…

『クラシカルなものとして定着している多くの芸術は、その誕生時には、いびつな捉え方をされていた。「バロック」や「歌舞伎」という聞き慣れた言葉ですら、その意味は"異端"を示すものだった。
だからといって(ある意味で異端の)、VGMもいずれはポピュラーな音楽として認知されるということを期待しているわけではない。いや、むしろそうはなりたくない。60年代、トリュフォーやゴダールといった作家の映像を初めて見たときの戸惑いや驚きを、SFXや様々な映像テクニックに慣れ親しんでいる現代人にそのまま求めるのは無理だし、ジュール・ベルヌの「月世界旅行」や「海底二万哩」を今の子供たちに読ませても、当時程のときめきを感じさせることは不可能だろう。
その意味では、"ヌーベルヴァーグ"とは賞味期限つきの禁断のお菓子なのだ。それを、時代を超えて食したいと思うのならば『定型』という保存料を加えなければならない。そして、その瞬間に「ヌーベルヴァーグ」という呼称は次なるものへと逃げてゆくのである。
時代は変わっても人間の本質は変わらない、なんて誰が言ったのだろう?
誰とも違わない本質なんてつまらない。定型化して解釈付きの芸術となるよりも、二流のヌーベルヴァーグを選択したいのだ。

「泣きたいものは泣き、笑いたい者は笑え。」(ジャック・ドゥミ)』



iTunes Storeにバンダイが参入

bandai.jpg


うは、懐かしすぎる。

目についた曲をいくつか。
STEP(魔人英雄伝ワタル)
アニメじゃない(個人的には、ガンダムというより、青春アドベンチャー)
Alfa and Omega(菅野よう子?)
トライダーG7のテーマ(俺は社長で小学生~)
アフロ軍曹(ケロロ軍曹)

銀河漂流バイファムパックを覗いてみたけど、「never give up」がない…残念。

テトリスの面白さを改めて考えてみる

活字中毒R。:『テトリス』というゲームに、人はどうして熱中できるのか分かりますか?より。

現在のテトリスのひな形となったセガテトリスをベースに、改めて考えてみよう。

テトリスとは、「降ってくるパーツをどこに積むか判断するゲーム」。
現在の地形とパーツ形状を見比べて、パーツが落ちる前に積む場所を決める。

・パーツがピタリとはまるのはどの位置か?
 回転させればピタリとハマる?
・地形とパーツがどうしてもピタリと噛み合わない。
 取りあえず積むしかないが、どこへ積む?
 隙間がバラけると追い詰められた時の立て直しが厳しくなる。
 また、隙間の上を高く塞ぐのは避けたいが?
・取りあえず1ライン消せるが、下層ラインの隙間の上を塞ぐ格好になってしまう。
 そのまま1ライン消すか?
 下層を掘るのに適したパーツを待ってもいいが、それまで耐えられるか?
・4ライン消しの待ちを作っておけば、特定パーツが降ってきた時に
 4ライン消しで体勢を立て直せる。
 しかし、それまでに待ちを塞がずに耐えられるか?
 特定パーツがいつまでも降ってこなかったら?

リスク、リターン、安全率…これらを僅かな時間で判断してパーツを積んでいく。

「7種類のパーツを敷き詰めていく」というシンプルなルール。一皮むけば、麻雀の如き行動判断を矢継ぎ早に迫られるスピードとスリル。
判断がハマってラインを連続的に消滅させたときの開放感。些細なミスで体勢が崩され破局を呼ぶという緊張感。パーツの引きがよくスムーズに状況が展開していくときの高揚感。
これがテトリスの「面白さ」だと思う。

プロフィール

waverider

Author:waverider

ああ、沖縄に行きたい…

最近の記事
カテゴリー
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。