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ゼロ = 空虚、ではありません

0527雨 千夜一夜物語の如く尽きないおしゃべりな夜の夜の夜 - nagonaguの日記 より。

朝日新聞が科学関連の読み物で、うっかり「数字に魔力がある」とか書いたらしい。
それを揶揄する目的で、ゼロにまつわる非科学的なネタ話を書いた、という内容だった。

この記事には二重の仕掛けが施してある。
一つは、現実世界での数の符丁に特別な意味を見いだそうというもので、これは朝日新聞をわざとマネしている。
そしてもう一つは、多くの人が「ゼロ = 空虚」だと勘違いしているのを逆手に取っていること。
ただ、後者の仕掛けはかなり判りにくい。
「空」の概念を理解するのは至難の業で、仏教研究者をして「理解できない」と言わしめる代物だ。
もちろん私が「空」を理解できるはずもないのだけど、記事の仕掛けの解説ぐらいはできそうなので、ここでは「空」が空虚ではないことを説明してみよう。

インド数学のゼロは、非存在を表しているわけではない。
なので、「空」つまりゼロ = 虚無や空虚、というのは誤りであるといえる。
山折哲雄「仏教とは何か」に,ゼロに関するわかりやすい説明があるので引用してみよう。

このことを考えるうえでは、幾何学的図形におけるタテ軸とヨコ軸の座標が参考になるにちがいない。
このXとYの座標軸には、一系列の数字記号が展開しているが、その二つの軸の凝集点にゼロ記号が植えこまれている。
それはX軸とY軸に沿って展開する記号群を、その根源のところで支えている決定的な点である。
ゼロ記号としてのこの始点が存在しなければ、そもそもX軸もY軸も成立しえなくなるような決定的な原点なのである。


「空」の概念は言語道断(言葉で言い表せない)とされているが、あえて説明するとすれば「個々の事象や価値を生み出している、その源」であり、イデアやタオやア・プリオリのような真理概念だと捉えると少しは理解できた気になれる…かも。
色即是空、空即是色という言葉を乱暴に言い換えると
・色即是空 = 個々の事象や価値の正体は、「空」という真理あるいは原型である
・空即是色 = 「空」という真理あるいは原型より、個々の事象や価値が生まれ出る
という感じだろうか。
つまり、「空」とは様々な事象や価値の出発点であり、虚無や空虚という意味ではないということになる。

#
したがって、仏教の無常観とは、
「すべてのものは虚ろに帰する」というネガティブなものではなく、
「すべての変転する事象は『空』という不変の真理から発生するので、『空』を捉えることが重要」というポジティブな解釈をするべきではなかろうか。
#

以上のような事柄を踏まえると、天皇に関わる話がかなり捻ってあるのが分かる。
「天皇はゼロか?」 と問われると、大抵の人は「天皇は虚無だろうか?」という問いだと考えるだろう。
しかし、ゼロの本来の意味を考えると、これは「天皇は日本の原点だろうか?」という問いに化けるのだ。

記事の最後にあるAbsolute Zeroが、一応の種明かしにはなっている。
Absolute Zero = 絶対零度と訳されるが、ここでのZeroはもちろん虚無や空虚という意味ではない。
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映画「ダ・ヴィンチ・コード」が面白かった

映画「ダ・ヴィンチ・コード」は評判イマイチという記憶があったけど、見てみるとかなり面白かった。
ただし、キリスト教周辺の基礎知識がないと納得できない場面がたいへん多いため、予備知識無しで見ると面白さが半減、いやもっと減るだろう。
特に「なぜキリストが人間だと教会が崩壊してしまうのか」について知っている日本人は少ないだろうから(かなりややこしい論理だし)、この映画を見た人のうち多くは、登場人物の行動原理そのものが納得できないだろう。主人公も悪役も含めて、なんで皆さんこんなに必死なの?みたいな。
Amazon.comでの評価を読んでみると、原作は面白かったという意見が結構あるので、原作のほうではキリスト教の周辺についてもっと詳しい説明があるのだろう。
原作も読んでみるかな。

Appleの後をそのまんま辿るMicrosoft

PC WatchにWindows7の記事があったんで読んでみると、Microsoftが説明しているパフォーマンス改善手法がMac OS Xのそれにそっくりだった。
Vistaではウインドウマネージャの仕事の一部をDirectX任せにしたので速い…それなんてQuartz2D Extreme?
GDIを細粒度ロックに変更したので速い…奇遇ですね、Mac OS XもTigerで、FreeBSD譲りの細粒度ロックを獲得しましたよ。
新しい描画モデルの安定化が予想以上に大変でしたか? お互い様ですねえ、MacもQuickDrawベースのレガシーな描画モデルを置き換えるのに苦労していましたよ。
なんせ新式のQuartzよりも旧式のQuickDrawの方がパフォーマンスが良い場合がありましてね…。

ウインドウマネージャが各アプリの描画を統括するような設計にすると、同じ設計のMac OS Xと似たようなボトルネックが発生するということを、ある程度は予見できたはずじゃなかろうか。
でも、これ以上発売時期を遅らせるわけにはいかんので、Vistaを取りあえず発売した。
そしてこう言う。「不満があるのは分かってます、次のWindows7まで待ってください」
…デジャブだな、Appleも「10.0での不満点は10.1で改善しますので」って言ってたよ。
つまり、Microsoftはまさしく「Appleの通った道をそのままついていった」わけだ。
私が2年前に書いた VistaはMac OS Xの成功に倣えるだろうか? そのまんまの展開じゃないか。
茶番劇というしかない。

ハルヒに伴う地域格差

涼宮ハルヒの憂鬱の新作エピソードがサンテレビで放送されたらしい。
さて、私の勝手な認識では、アニメ系の有名ブロガーは殆どが関東地方在住だ。
だから、再放送と新作を混ぜて放送する"戦略"について言及する記事はあるだろうが、内容についての言及は、関東地方で放送されるまではあまり出てこないだろうな-と予想してみる。

追記
と書いたら埼玉でもう放送されてた。

Wiiを出したのはもちろん賭け

なぜ任天堂は社員数がソニーの50分の1で稼ぎは3倍なのか(プレジデント) - Yahoo!ニュース
を読んで。

Wiiをゲームキューブと大差ないスペックで出すのは大きな賭けだった。
PS3やXBOX360がまだ仕様策定段階だった頃から、ミドルウェアやAPIの提供などを含めたいわゆる開発環境の構築が大ボリュームになることが分かっていた。
次世代ゲーム機の勝負は、兵器開発や兵站や補給力の勝負…
でも、任天堂はゲームキューブで開発者フレンドリーな環境を構築したにもかかわらず勝てなかったし、ハイエンドグラフィックという土俵ではMicrosoftやSCEIを上回れる気がしない。
ましてMicrosoftなどは、グラフィックやネットサービスという点で、PCゲーム仕込みの豊富な実績を持っているのだ。
だから、Wiiは性能勝負を仕掛けず、入力デバイスの差別化という賭けに出た、というのが私の認識。

逆に、入力デバイス以外の部分では、Wiiはちゃんとトレンドを追った造りになっている。
ゲームキューブと同じ設計にすることで得た、上位互換性。
記録メディアを独自開発せず規格品を採用。
拡張性を持つチャンネルインターフェイス。
ネットを介したゲーム販売。

全体で見ると、激しい性能競争 → 北米のヘビーゲーマー市場を重視しすぎ → 全年齢向けのソフトラインナップが手薄になった → そこをWiiが根こそぎ持っていった、という構図になっており、たぶんMicrosoftなんかは己の視野の狭さを呪ったことだろう。

ところで、現状はどこも戦々恐々としている感じではないだろうか。
まず据え置きゲーム市場の拡大が止まるかもという懸念があり、ネットサービスによる囲い込み問題がそろそろ起きはじめてたり、iPhoneの台頭があり、日本と海外の市場温度差があり…と、誰も先を読めないカオスな状況が続いている。

FZ6Sのプラグ交換をやりました

今まではバイク屋にお任せしていたバイクのプラグ交換を自力でやったが、予想した以上に面倒だったのでやり方を記録しておく。
バイクはFZ6S。

1.
4気筒のエンジン。またがった状態で見た時、各プラグコードに左から1, 2, 3, 4と番号が振ってある。
エンジン上部の隙間から手を入れてプラグを交換していくが、左側には冷却水の循環ホースが鎮座しているので手が入れられない。
よって、すべての作業は右側から行う。
一応、キルスイッチを切っておく。

2.
まず、すべてのプラグコードを外していく。もちろん、右側から順に外す。
左側にあるプラグコードほど外しにくい。1番のプラグコードは、左斜め上方向に向かって抜いていく(そこしか隙間が無い。)

3.
左側から順にプラグの取り外し・取り付けを行う。
使う工具 = 車載工具のうち、以下のもの。
14のスパナ
プラグ交換用のソケット(真ん中が振れるやつ)
端がそれぞれ楕円とスリット上になっているパイプ(スパナを回す補助に使う)
ソケットを突っ込んで、スパナで少しずつまわす。
1番のプラグは超外しにくい。
まず右側からスパナを入れて、スパナの裏表を入れ替えつつ回せるだけ回す。
次に左側にまわり、循環ホースとフレームの隙間からスパナを入れてほんの少しだけ回す。
そうしたら右側に戻り、またスパナを入れて回せるだけ回す…以下繰り返し。
次にやるときは、柄が長いスパナを用意したいところ。
1番以外のプラグは、左側にまわらなくても一応外せる。2番が厳しいがなんとかなる。
締め付けトルクは1/2回転などとマニュアルに書かれているが、並の腕力ではそんなに締められないし、締め過ぎも怖い。
1/4回転+αが限度だろう。

4.
無事にプラグを交換できたら、プラグコードを取り付けていく。
1番のプラグコードは、外したときと同様に左斜め上方向に思い切り寄せてから穴に差し込む。繰り返しになるがそこしか隙間が無いので。
プラグコードの差し込みがこれまた硬い。ガリッと言う金属音が3~4回ぐらい鳴れば入っている。これ以上入らないところまで目一杯差し込む。
プラグコード密閉用のゴムキャップをしっかりエンジンに密着させ、隙間ができないようにする。このゴムキャップは、プラグコード本体と独立して動かせる。
各プラグコードをつけ終わる度、他のプラグコードと高さが大きくずれていないかどうか確かめるのを忘れずに。

5.
エンジンをかけて、エンジン音がおかしくないか、アイドリング回転数が不自然でないかどうかを確認する。

作業を終えての感想
タンクを上げて作業する設計にしてくれた方がマシだと思った。ロングなスパナがあれば格段に楽なので探してみるか。
プラグの偏磨耗はなかった。かぶりも特に無し。

おまけ
以下の写真は、約10000km走行したプラグと新品のプラグを比較したもの。
プラグはNGKのイリジウムIX。

sparkplug_diff

先端のイリジウム部分が半分ぐらいの高さまで減っており、しかも上面が斜めに偏消耗している。
実は、この状態でもロングツーリングでは燃費がほとんど落ちない。
しかし、街乗り主体だと1割ぐらい落ち込んでいた。
今回はものの試しということで10000km使ってみたが、性能を維持するためにはメーカーの推奨通り5000kmぐらいで交換するべきだろう。エンジンにカーボンたまりそうだし。

Googleのアップデートアプリを停止させる

久しぶりにMacのファイル整理をしていたら、ホームフォルダのPreferencesに「com.google.keystone_agent.plist」という見慣れないファイルが。
このファイルの更新時刻がMacの起動直後になっていた。
Google系のアプリを使ってないのにこの更新時刻は一体? と思って調べてみると、どうやらGoogle系のアプリをインストールするGoogle Updaterというアプリが、アップデートチェックを実行する仕掛けをバラ撒くらしい。
具体的には、~/Library/LauchAgentsフォルダにlaunchd用のplistファイルを置いて、ログイン時に自動実行されている。
目障りなのでさっさと削除した。

参考:Time sinker: Stopping all OSX Google background 'updater' apps

更なる回答…(最後にしたいよこれで)

東海林さだおがいいなぁ  山本七平氏の「弁慶がな、ぎなた」読み No.2 から、トラックバックが飛んできてるので。

1. 米国人特有の思考枠組について
あーすいません、つい"米国人"って書いてしまいました。
・歴史的経緯により、米国ではプロテスタントの勢力が強い
・根本主義者 = 行き過ぎたプロテスタント
ということですね。これ以上の意味はありません。
行き過ぎたプロテスタント → 聖書絶対主義の徹底 → 進化論を否定したり、ID論で科学と聖書の整合性を取ろうとしたり…というシンプルな流れです。
現在では、米国でのプロテスタントの割合は減る一方らしいですが。
米国人を一括りにできないというのはおっしゃる通りです。横着なのでついつい書いてしまいます。

2. 科学に背を向けるものは…について
根本主義者の特徴の一つは「聖書絶対主義」なので、
「科学に背を向けるものは神の真理に背を向けている」

「聖書の記述に反するような学説はすべて誤りです」
という逆流を起こしてしまいます。
だから、根本主義者が科学と宗教を連結させて考えることが "寒い" というわけです。
# アインシュタインのように、信仰が適切な形で科学探究の原動力になるのが理想だけど、それが万人にできれば苦労しないわけで…
この言葉が矛盾していると感じるのは、「科学は宗教とは別口」といった思想が "当たり前" だと考えているからではないでしょうか。
対して、根本主義者は「聖書の記述はすべてに対して優先される。科学も例外ではない」という思想が "当たり前" だと考えている、と。

3. 山本七平について
山本七平批判を展開されていますが…関係なくないですか?
「正しいことは権威を帯びる」ってのは宗教社会学から私が引っ張り出してきたものであって、山本七平から出てきたものではないです。
かつて山本七平が繰り広げた論争の下りも読みましたが、これ、私が書いた「批判 vs 批判」とは構図や内容が異なる話だと思うんですが。

4. 最後に
何かこう噛み合なさが半端じゃないんで、これ以上は不毛なやり取りになりそうです。
あと、私は山本七平ファンというわけではないので、山本七平批判については特に言うことはありません。

久しぶりにバイクで遠出

久しぶりにバイクで遠出したわけですが。

1.
春秋用の防風ジャケットは明らかにもう限界だ。
内装が崩れ落ちてきてるのは分かっていたけど、閉めたファスナーが勝手に開く、防風性能が25%(当社比)程度落ちている気がする、防水性能は50%以上落ちている気がする、など。
8年ぐらいは着てたので、合成繊維のバイクウェアとしてはよく持った方かもしれない。

2.
バイクにもカーナビが欲しい。
今日は2回も道を間違えたし、地図に出ていた観光スポットに実際行ってみると、バイクどころか徒歩でも近づけない場所だった。道が…ない…!
まさか遠くから見るだけとは…柱状節理なんか、イージス艦の艦橋にあるような高倍率望遠鏡でも使わなきゃ見えないよ!
# 単なる下調べ不足です。

3.
右コーナーはだいぶ安定してきた気がする。
アウト側ばかり見ているのでそっちにバイクが行ってしまう、というのに気が付いたので、今よりも2m~4mぐらい先のラインを見るように気をつけたら、かなり良くなった。
倒し込みも、ブレーキオフorアクセルオフからイン側ステップに加重するまでに一拍空いてしまっていたので、間を空けないよう注意するとスムーズに倒し込めるようになった。

やはり、天気が悪いとテンションが下がっていけません。
ずっと曇りで、道中2回ほど雨に降られた。土砂降りじゃなかっただけマシだったけど。

DOOM酔いがついに発症した

DOOM酔いは自分には無縁だと思っていたら、ついに発症した。
Steamで、OrangeBoxを$10のバーゲン価格で購入。
Half Life 2をプレイしていたら、30分ぐらいで吐き気がこみあげてきて、たまらずプレイを中断した。
初代Half Life, Portalは大丈夫だったのに…視線移動が激しすぎるのが原因だろうか。
フルスクリーンでのプレイを止めて、画面全体が視野にちゃんと入るようにすれば多少改善されるかもしれないが、画面メチャ綺麗だからフルスクリーンでのプレイが止められないという…

おまけ:chochonmage さんのブックマークコメントについて

「批判 vs 批判」のブックマークコメントを眺めていて、目に付いたものがひとつあった。

chochonmage さん:

根本主義者が進化論を引きずり降ろしたがってるのはなんなのでしょう?/「水は人語を解さない」って「電気がないとテレビ映らない」ぐらいの話だと思うんだけどそんなに権威的かな?


これは山本七平「空気の研究」を読めば分かるんですが、
・「アンチ進化論」や「Intelligence Design = ID論」といったものは、米国人特有の思考枠組から発生している
・「水伝」は、日本人特有の思考枠組から発生している
ということです。
「アンチ進化論」や「ID論」は、米国人のツボを突きまくってるし、「水伝」は日本人のツボを突きまくってる。
その点では、「永久機関」や「波動」といった普通の? ニセ科学よりもはるかに厄介です。
水伝を否定するには、日本人が潜在的に持っている思考枠組に相反しなければいけない。そのハードルは意外と高い。(だから水伝はあんなに流行ってしまった)
感情レイヤーだけで対処してしまうと、多くの人は水伝を否定しきれないのではないかと思います。だから科学や合理性といったものに強く頼らざるをえなくなる。
件の記事で書いたように、科学や合理性に根ざした呼びかけは、発話者の意図に関係なく強制力を帯びてしまうものです。

#
日本人はアンチ進化論やID論にあまり惑わされません。自らの持つ思考枠組と親和性がないためです。
憶測ですが、米国人もまた水伝には惑わされないのでは、と思います。
#

権威の取り扱い:Chromeplated Rat への回答? のようなもの

この記事はニセ科学批判 vs ニセ科学批判批判について の、続きのようなもの。
権威の取り扱い:Chromeplated Rat:So-net blog
への回答として書きはじめたのですが、結果として散文的なただの読み物になってしまいました。
従って、回答の体を成しておりません。また、哲学や宗教に価値を見いだしていない人にとってはチンプンカンプンな内容です。
だけど、ニセ科学の周りで展開している様々な問題については、今回のようなアプローチを採らないとロジックが解けないと考えています。
あと、ヒジョーに長いです。暇な時にダラっとした感じで読んで頂ければ幸いです。



その1.
あの記事は、ニセ科学批判批判者が「ともかくお前らの態度が気に食わない」というスタンスを取ってしまうのはなぜか、という疑問に対するもので、ニセ科学そのものは眼中に無かったんですよ。分かりにくくて申し訳ない。
そして結論は、
「双方が科学を信奉しているがゆえ、正しいことを述べる側に権威が発生してしまっている。批判 vs 批判とはつまるところ権威に対する反発であり、"構図" が引き起こす問題だ」
になった、ということです。
意義については、ロジックが解明できたので枕を高くして眠れるという意義があります。これはとても重要なこと。

どうも、権威という言葉を不用意に使ったためにいろんな誤解を招いてしまったらしい。
警察とか上司とかのたとえを出さない方が良かったかもしれない。
権威という言葉は、「他の者を服従させる力」という意味だけに限定して、社会に存在するいろんな権威・権力のことは想像外にするべきでした。
「正しいことは権威を帯びる」ってのは、「重い物体は周りの空間を歪ませる」のようなシンプルな法則、といった程度のものです。

上位性や優位というのは、もちろん権威の話です。
権威のあるところには、必ず上下の区別が発生しているもんです。権威を帯びる側が上位、それを観る側が下位。
聖書ふうに言うと「神の言葉を語るものは権威ある者」であり、神は常に人間の上位にいる。
科学の源流は一神教の神や真理であり、それ単体で人間の上位に立ちうるものです。
これもかなり宗教よりの考え方です。「俺の方が偉い!」とか「俺の方が勝っている!」とかいうのとは、ちょっと違います。
(うまく説明できない…OSにおけるカーネルとタスクの関係というか。余計に分かりにくいか)

#
一神教の神は人間らしさを一切持たない。
個々人の都合なんて考慮しない。人間は神の支配を受ける以外に選択肢がない。自然は厳密に自然法則に従い、人間がそれを曲げる術はない。
一神教の神は徹底して非人間的です。
日本人は合理性や科学といった概念を一神教抜きで輸入したので、科学もまた上記のような「非人間性」を譲り受けていることに鈍感な節がある。
#

上位にあるのは,正確に言うとニセ科学批判者ではない。
"合理性" あるいはその具象といえる "科学" こそが上位存在であり、ニセ科学批判者は "合理性" や "科学" の代理人であり権威を帯びる者とみなされている、という形ではないかと思う。
批判批判者が反発している相手は、実のところ、矢面に立っているニセ科学批判者でもないし、 "合理性" や "科学" でもないんじゃないか。
本当の相手は、批判者の活動によって生じている "権威" なんじゃないか、ということ。
この辺の考えは、宗教の方向に偏り過ぎかもしれない。
でも宗教を用いることで、「なぜ、ニセ科学批判者は、ニセ科学を信奉してない人からも煙たがられることがあるのか」という問いに対してシンプルな回答を引き出せます。


その2.
トラックバック先の後半に書かれていた、不誠実であるとの話については、申し訳ないがまったく意味が理解できませんでした。
たぶん、ニセ科学の周辺について、その現状認識に大きな隔たりがあるからだと思います。両者の世界観が根こそぎ異なっているというか。
なんで、ニセ科学についての私自身の見解? あるいは私の世界観? のようなものを書いてみます。

理性的な人は、認識宇宙を理性のナイフで適切に処理することができる。
あれは科学の範疇、あれは道徳の範疇、あれは芸術の範疇…というように、認識宇宙を適切に切り分けて、うまく処理することができる。
正体不明なものをナイフで解体して、その実体や構成原理を知ったりもできる。
…ここで、現代の状況を考えてみよう。
現代の繁栄は科学抜きでは語れない。誰も科学の恩恵を否定しないし、できない。
我々の周囲には科学技術が生み出したものがあふれている。科学技術は高度化し、人々が手にするものの構造は複雑化とブラックボックス化の一途を辿っている…
そんな状況だと、"科学" がどんどん肥大化・怪物化してしまう。
『科学は万能だ。科学はいずれあらゆる問題を解決できるようになる。科学こそが真理だ。原理はよくわからんが科学スゴい!』
…といったように、肥大化が盲信を生んでしまう。
さらに、『科学は人間の都合なんて考えてくれない。合理性は感情を殺す。科学が環境を破壊する。科学コワい!』
…のように、科学や合理性の持つ「非人間性」が怪物化して、恐れをも生んでしまう。
現代の状況を発生源とする、科学に対する盲信や恐怖。これが、ニセ科学というキメラの存在を許してしまっている。

理性的な人なら、こんな状況下でも適切にナイフを扱うことができる。「非人間性」を恐れたりしないし盲信もしない。
なぜなら、"科学" や "合理性" について得心しているから。
彼らの眼には、肥大化・怪物化していない "科学" や "合理性" の本来の姿が見えている。
翻って、そうではない人も数多くいる。
"科学" や "合理性" について得心しておらず、盲信や恐怖が先に立ち、認識宇宙の適切な処理が行えなくなる。
ニセ科学批判者は人々に向かって「理性的であれ」と一所懸命に叫ぶんだけど、まず "科学" や "合理性" について得心しないかぎり、理性的な態度を持つことがそもそもできない。
好きこそ上達の秘訣みたいな感じで "科学" や "合理性"について楽しく得心できるのなら、どんなにいいことか。
ニセ科学批判者のような理性的な人は、幸運にもそれを無自覚のうちにやってのけているが、それができない人が少なからずいる。
さらに、一度得心したとしても、この世界にある理不尽で非合理なイベントが得心を揺るがし続ける。

科学が世界を覆いつくしはしたが、世界はいまだに理不尽で非合理なまま。
こんな状況化で、人々が "科学" や "合理性" について得心するにはどうすればいい? 得心を維持し続ける術はあるのだろうか?
個人的にはパーシグが「禅とオートバイ修理技術」で提示したような、ギリシア哲学ベースの真理概念を広めていけばよいとは思うけれど。
あれが万人に受け入れられるとはさすがに考えにくい…

ニセ科学批判者が現在採りうる手段としては、やはりモグラ叩きしかないのでしょう。

プロフィール

waverider

Author:waverider

ああ、沖縄に行きたい…

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