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それは偶像崇拝です

wassrの方で書いた話。
国歌を歌うだの歌わないだの、起立するだのしないだので議論するのは偶像崇拝にしか見えない。
戦争のときの暴虐を問題だと思うなら、「天皇や国旗といった単なるシンボルがなぜ暴虐と関連するのか」を考えないといけない。
"象徴"に感情移入するあまり、逆にその"象徴"に縛られてしまうのが偶像崇拝の怖さ。
国旗や国歌に縛られているという意味では、国歌斉唱の起立云々でギャーギャーいってる人達は、戦中の日本と同じ形に嵌っている。
偶像崇拝してるという自覚がないなら、我々はいずれ太平洋戦争のときと同じ過ちを繰り返すだろう。

#
少し前に「新型インフルエンザで騒ぐのは神事なのかも」という話をしてた人がいたけど、あれは偶像崇拝であって神事ではない。
私たちが自覚せずに行う神事としては「記帳行為」があると思う。
昭和天皇の容態が悪化した時に記帳したり、神社の記帳ノートに「来てよかったです」と書き残したり。ネット上でもよく見かける。
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Tumblrについて

1.
著作権者にとって、広大なネットのどこかで行われている侵害を探して対応するというのは大変にコストがかかる。砂山の中から針を探すが如し。
そもそも、コンテンツ製作者に対して消費者の数が多すぎるってのもある。数の暴力。

2.
大抵のTumblr使用者は、大量かつ多様なコンテンツをコピーしている。
特定のコンテンツについて警告を受けて削除したとしても、たいして痛くない。

3.
コンテンツの種類が文字列とイメージデータに特化されている。
「文字列と画像はタダ」という暗黙の了解があるためつるし上げを食らう可能性が低い。

つまり、ネットの広大さと、著作権の親告罪という性質、これらを盾にしてリスクを回避しているといえる。
もう少しいうと、世界は広大で、コンテンツ製作者は掃いて捨てるほどいて、コンテンツは無尽蔵に供給され続ける、というファンタジーが基盤になってる。
本当に厄介なのはこのファンタジーかもしれない。

なぜ日本でMODが流行らないか

Wassrに書きなぐったものを清書した。

なんで日本でMODが流行らないか、というのは、UGCの成立条件を考えると分かりやすい。
初音ミクで例えると、ミクという「表現の振れを許容する素材」、「PCなど機材の普及」、「ネット環境」、「ニコ動などの発表・評価の場」、この4つ。
これをDOOMで置き換えると、DOOMエンジンが素材、米国におけるPC普及率、ネット環境、ネット対戦という「自作MODの発表・評価の場」という形になる。

DOOMは、発売元のid softwareが当初からMODを奨励して大きく盛り上がったので、そういう戦略がスタンダードになったのが大きい。
これは、ゲームジャンルがFPSだからってのもある。
まず、マップの出来で面白さが大きく違うゲームジャンルであること。性能変更も然り。
次に、FPSとは平たく言えば銃撃戦のシミュレートなので、ゲーム性が物語や世界設定と連結されてない。これがMODへの抵抗感を下げてくれる。
そこいくと日本のゲームは非常に不利。プランナーが物語や世界設定を意識してゲームを作るのが伝統になってるので、MODを作りにくい(ゲームからゲーム性だけを抜き出しにくい)構造になってしまってる。

つまり、FPSというのは初音ミクと同じ「振れを許容する素材」たりえるジャンルであり、最初期のDOOMの時点でその認識が確立されていた。そこからの歴史の積み重ねが今のMODの隆盛に繋がってる。
日本ではその歴史や土壌がないからMODが受け入れられていない。

ヱヴァンゲリヲン破を見に行った(ネタバレあり)

序のTV放映を見たとき、アナログ放送画質にがっくりした。画面が暗いこと暗いこと。
「んー破は劇場で見てみるか…HDテレビもblu-rayも購入予定ないし…」というわけで、破を見てきました。

エキサイティングなバトルシーン、日本語フォントを活かしきったディスプレイの格好良さ、生理的嫌悪感を呼ぶデザインや動きなどは、エヴァならではの素晴らしさ。
そして上映時間が108分しかないので、展開がロケットのように速い。
日常のシーンがとにかく駆け足で、「あれ、いつの間にアスカはシンジを気にするようになったの?」みたいな。
せめて120分だったらと思ったが、劇場の回転率を考慮した結果なのだろう。

ストーリーは相変わらず謎だらけだけど、ラストの赤木博士の(説明的な)台詞のおかげで構図が見えた気がする。
インパクト = 神の交代劇 = 現生命体の全滅(+新世界創造?) らしいので、各勢力(ゲンドウ、ゼーレ、カヲル君etc)がそれぞれの神(=新世界)の実現を狙って渡り合うのだろうか。

TV版のエヴァは、「最初はまっとうだったのに、心の問題がデカくなりすぎて物語自体が歪んだ」という印象がある。
せっかくのリメイクなんだから、前回とはまったく方向性の異なる、ココロ方面に偏りすぎない結末を期待したいところ。

ザッツ・イメージ戦略

「Apple製品、好きだよ」 ハッカー・DVDヨンの素顔 - ITmedia News より。

よくある、"実は穏やかないい人" アピールか。
だからといってカルマが軽くなるわけではないが。
そもそも「自分で買ったDVDを、自分のPCで見たかっただけ」とかいう希望と、クラックツールを全世界にバラ撒くのとは話が違う。バラ撒いた理由を語らないと。
取りあえず、CD Manipulator の開発者の爪の垢でも煎じて飲みなさい。

GoogleがOSを出すらしい

軽量カーネル+ユーザーインターフェイスはWebブラウザに一任するってことは、JavaScriptエンジンが動作の要ってことか。
構造的には、10年以上前に提唱されたOS+Java仮想マシンってのと同じ形で、JavaをWebKitに置き換えただけ。
いろいろなベンダーが夢見た「プラットフォームを問わない実行環境」の、最新のモデルといえる。
Javaが出た頃はまだPowerPCが200MHz行くか行かないかだったけど、今のNetbookは1GHz超えてるんでWebKitやAjaxもすいすい動くよね。馬力を生かして力任せにぶん回すイメージ。

戦略形態という話だと、MicrosoftがWindows95以前にやってた表計算ソフト戦争を思い出させる。
表計算ソフトをエサにして自社の次期OSの地位向上に努めたわけだが、Googleのやってることはこれと同じ。
Webサービスという形にしろ、ローカルアプリケーションという形にしろ、ある特定ベンダーの製品に依存しているという状況に大きな変わりはないし。
Google好きではない私のテンションはまったく上がりません。

早くSnow Leopardの発売日決まらないかなー。

技術原理主義の方が何かとおトク

有吉弘行の説教芸を礼賛するってのは、一時期コンビニでよく見かけた「ヤクザの交渉術」を礼賛するのと根が同じなのかな…と思ったけど、ちょっと違うか。
どうも、「技術のスゴさ」だけを評価軸においてて、その使われ方や倫理等の兼ね合いなんかを意図的にシカトするような手合いがいるような。
力がある人にとっては、そういう価値観を広めといた方が生息しやすいんだろう。
「道徳的に振る舞うのは、回り回ってその方がおトクだから」の変形版。

ヱヴァンゲリオン序を見て、いくつか記憶が蘇ってきた

いやー、あの正八面体はホント素晴らしいですね。ヤシマ作戦はやっぱ最高です。

この映画の製作発表会で、庵野監督が「エヴァは繰り返しの物語です」といったらしい。
そういえば、初代エヴァ?のTV放映終了後に、野火ノビタという人が
「シンジ君がカオルに『父さんと同じで、僕を裏切ったんだ!』と言っちゃって、おい振り出しに戻ってるじゃねえか!シンジ君が成長しとらん!」
という批評を出して、それを見た庵野監督が野火ノビタ本人に会いたいといった…とか。
それで、野火ノビタ = 榎本ナリコというのをあとで知って、「確かに絵が貞本風だった…!」と思ったり、とか。
# 榎本ナリコが最近出した本はタイムスリップもので、あらすじを読む限りは伊藤伸平の「はるかリフレイン」に似てると思った…読んでみようと思って忘れてた。

あと、ゴミ漁りをしてそれを基に講演するという変わった人がいまして。
TV版エヴァがあのような形で終了したとき、ある人がムカついて録画してたエヴァ全話のビデオを一気に捨てたらしい。
それを件のゴミ漁り人が拾ってハマってしまい、講演会でゴミの話をせずにいきなり綾波レイの話をしはじめて…みたいな話もあった。

「破」を見に行く予定はないんだけど、伝え聞く話では新キャラがいて、ゼロ年代を体現したような性格らしい。(ゼロ年代って言葉はなんかイヤだが)
性格とビジュアルを伝聞で聞いた限りでは、宇多田ヒカルがモデルなんじゃないかと思ったけど、たぶん気のせい。

CrossOver Mac 8.0 が出た

CrossOver Mac が8.0にバージョンアップしたので、早速試してみた。
Wineのバージョンが1.1.1.8と一気に上がったけど、今のところ大きなトラブルは出ていない。

改善された部分は…
・東方紅魔郷で、デスクトップエミュレートをOFFにするとゲームスピードが速くなりすぎる現象が起こらなくなった。(ただし、フルスクリーンでのプレイだと相変わらず速い)
・東方花映塚と東方地霊殿で起こっていた、フレームレートの減少が無くなった気がする。
・東方文花帖で、撮った写真が表示されるようになった(ステージ中のみ)。
・東方風神録がフルスクリーンでプレイできるようになった。
 代わりに東方地霊殿がフルスクリーンでプレイできなくなった…
ひぐらしのなく頃に 体験版うみねこのなく頃に 体験版が普通にプレイできるようになった。
 以前は画面が真っ暗になってプレイできなかったはず。NScripterが正しく動作するようになったのかも。

higrashi_trial

ブレない原義

自由の核心にあるもの - 地を這う難破船 を読んで。

近代における「思想の自由」や「表現の自由」というものは、キリスト教の二王国論が基礎になってる。

例によって、橋爪大三郎「世界がわかる宗教社会学入門」から引用。

二王国論は、キリスト教の基本ですが、イエスの「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」という言葉に基づいています。
要するに、魂を支配する教会と、地上を支配する世俗の政治とは別であるという考え方です。
~中略~
これが中国の儒教なら、どうしても政治的統一が必要です。
統一が解体すると社会も壊れてしまうのですが、ヨーロッパの場合、政治的統一は必ずしも必要ではない。
だから民族ごとの国民国家を作れるし、地上では国民主権は絶対でありうる。
さらに、その絶対主権を市民が奪い取ってもいい。ここまでいけば、民主主義ができます。
二王国論は、ヨーロッパの封建制、絶対王政、近代国家の基礎になりました。

そして、思想の自由、言論の自由の基礎になりました。教会と国家は独立しているのですから、教会が言論で権力を批判してもいい。
言論のことは言論で決着して、権力を介在させない。こういう習慣から、自然科学が起きる。
キリスト教でなければ、なかなかこうはいきません。


つまり、「表現の自由」や「思想の自由」というのは、世俗の政治や権力者などの束縛を受けないという意味で「自由」である、ここが出発点になってる。
# 「自由」という言葉自体も、もともとは解放奴隷を指してるらしい。

個人的には、猫さんの周辺で「表現の自由」についてのやり取りが続けられた結果、ついにはその原義にまで遡るに至ったのが面白かった。
これだけ "思想" が複雑化して手に負えないような状況になってる現代でも、その原義は相変わらず揺るぎない。
原義というのはいわばマンダラの中心みたいなもんだから、ブレてなくて当たり前なのかもしれない。
だけど、その当たり前っぷりを今回目の当たりにして、いろいろと感心させられたのでした。

428がPS3とPSPに移殖される

428がPS3とPSPに移殖されるとのこと。これはめでたいですなあ。
なんせ、ファミ通で40点満点、ユーザー満足度も非常に高い、なのに売上は死んでるも同然ですよ。
是非いろんなハードに移殖して制作費を回収して次に繋げてください。

あと、ここは移殖時にできれば直してほしい…
1. 真エンディングの到達条件が分かりにくいので、ヒントが出るなどのアシストが欲しい。
2. 隠しシナリオはボイスをoffにするモードと台詞表示をoffにするモードをつけてほしい。
 それか、ボイスと台詞表示を完全に同期させるか。
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ああ、沖縄に行きたい…

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