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隠しコスチュームに喜べない

ここ最近は「零 刺青の聲」をやってましたが。
まずノーマルで1周クリア、そして現れたミッションモードをオールクリア。
これでやっとこさ隠しコスチュームが全てオープンされると。
…正直、新規コスチュームでもう1周プレイしてもテンション上がりません。
肝心のコスチュームも微妙なのばかり。着物とかメイド服とか。

自キャラの外観はゲームスタート時にカスタマイズできるようにならんのだろうか。
「1周クリアで隠しコスチューム」という悪しき伝統はSS版バイオハザードからだと思うんだけど、いい加減ヤメにしてもらいたい。
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ネットで文章がスムーズに書けない

なんかねえ、反応を考えて刺々しくない言葉選びをしてるというか。
語尾に「ね」を多用したりとか。クソめんどくさい。
普段インチキ広島弁でしゃべってるのに、どうやって標準語の文章をスムーズに書きゃいいんだ?
時間書けて推敲しても書いてる内容や反応に変わりがないなら、こだわるだけ無意味かよ。
でもくだらねえこと書いたら、ネットに同化したブードゥの神が降りてきやがる。
つーか、ブードゥの神しかこのブログを読んでないのか。
ハイチの神が気が向いた時に人間をかっ食らってるようなもんだ。
お前らの食料になるためにネットに居るわけじゃねーよ。

と、こんな文章すらスムーズに出せない。ことえりでうって変換、うって変換、その間に誤字チェック、脱字チェック、タイプミスのチェック。
インプットメソッド経由じゃ思考がスムーズに出せない。変換効率および精度が悪すぎて、文章を綴る行為が断片的になる。
かわせみもしばらく試用してみたけどことえりと大して変わらない。

次からはもっとしょうもない感じで書いていこう。思いつきを。そのまま。神を恐れずに。

twitterなんかのつぶやきサービスにノレない理由

MacPeopleを読んでたらtwitterの特集が載ってて、津田氏が「twitterは、人に興味があれば面白いツール」と書いていた。
わかった。twitterやwassrに私がノレない理由が。
「人に興味がないから」だ。
人の造り出す物に興味はあるが、人それ自身には興味がない。
バイク乗りだから、"自分自身にしか興味がない"。

この画像がウケている理由がわからない

SIRENアーカイブ「行方不明少女の張り紙」

ソフトバンクパブリッシング「SIRENマニアックス」からのスキャン画像。
原本と見比べてみたが改変された様子もない。
なんかこの画像に面白い何かがあるのかね? よーわからん。

給食費を払わないというライフハック

払える余裕があるのに、給食費を払おうとしない親が居たとして。
とりあえず払わないようにする。
催促があっても何か理由をつけてかわし続け、学校側が本気で取り立て(法的措置をちらつかせるとか)するようならそこで初めて払う。
こうしておくと、運が良ければ給食費を払わずに済むので、出費を抑えるライフハックとしてはなかなか有効ではないだろうか。
ポイントは、相手が「学校」だという事。給食費を踏み倒してもキツい対応をしてこないだろうし、「子供」を緩衝剤にできるのも有利だし、「給食費を払ってない子供は食べさせません」みたいなペナルティを食らう可能性も低い。
その気になれば「給食費は国税で賄うのが筋だろ!」みたいな開き直りもイケる。



つまり。
他人の著作物はとりあえず拡散可能にしてしまえばいい。
こっそりやりゃ発見されにくいし、著作権者が本気で対応してくりゃ指摘された物だけ取り下げればいい。運が良ければそのまま拡散させ続けられるし。
過去の事例から考えると、訴訟起こされて損害賠償、みたいなペナルティを食らう可能性も低い。
その気になれば「著作権なんて概念は時代遅れなんだよ!」みたいな開き直りもイケる。

無罪

優秀な技術者。少年の心。裁判でも無罪。
しかし、彼が作ったものを「使ってますよ」なんて公言しようもんなら、即座に犯罪者呼ばわりされる。
こんなのが本当に居たら、それはきっと人ではなく、悪魔とかの類いだろうな。
神も悪魔も英雄も逆賊も、人が造り出す。
それを望む人が、それを怖れる人が、偶像を造り出す。

カメラユーザーの語りたがりは異常

ちょっとカメラの話題が出れば、どこからともなく集まってきて、各々のカメラ哲学を熱く語りだす。
カメラに真理はなく、皆がそれを自覚している。だから「俺のカメラ哲学」がガンガン羅列されていく。
ジャンルはなんであれ、「道具を買いたい」と持ちかけられたときは、主な用途を聞くのが普通だ。
だからカメラ選びも「何を撮るか」による。カメラ哲学を語るのはそれからにしたい。
(結局語るんかい、という…)

スタイルシートにOsakaを指定するなっつーの

font-familyにOsakaを書くような、時代錯誤のフォント指定は消えてなくなってほしい。
いつまでClassic Mac OSに配慮してるの? 棺桶に入ってからもう6年経つだろーが。
Mac OS Xのシステム標準フォントはヒラギノ角ゴw3 13ptですから!
正確には3種ぐらいのフォントのハイブリッド表示だけどまあヒラギノ角ゴでやっときゃ間違いない。
ブラウザごとの対応がめんどくさい? font-familyになんて書いたらいいかわからない?
そんなときは「Lucida Grande」って書いときゃいい。
これはフォントのマジックワードで、「Lucida Grandeはシステム標準フォントと認識されるので、OS側でヒラギノ角ゴに置き換えてくれる」から。

# これはMac OS Xの言語環境切り替えから来ている仕様で、FirefoxでもSafariでもCaminoでも有効。

ゼビウスはなぜ「近代ゲームの始まり」なのか

ゼビウスが「近代ゲームの始まり」といわれる理由を考えてみた。

ビデオゲーム論議によくある「グラフィックが点や線でも面白いゲームは面白い」という理屈は、絶対ではない。
ビデオゲームは総合芸術の側面を持つ。
映画を見れば分かるけど、「シナリオが良ければ演者や演出がダメでも映画は面白い」という単純なことにはなっていない。
映画の根幹がシナリオであるのと同様に、ゲーム性もやはりビデオゲームの根幹であり続けている。
でも、総合芸術であり疑似体験でもあるので、「ビデオゲームをプレイするという“体験”」がスポイルされてしまう。

ゼビウスというビデオゲームの最大の評価ポイントは世界設定で、ゲーム性ではない。
背景の作り方は、映画や小説のそれに近い。世界設定を構築しておいて、それからグラフィックや演出を引き出す形になっている。
統一感のあるグラフィック、プラグサやシオナイトの演出、ナスカの地上絵など現実世界と共通するモチーフ。
これらが、「ゲームから世界の存在を感じる」ことを可能にする。
ナムコ黄金時代を彩るゲーム群の中で、従来のビデオゲームの枠を逸脱した唯一のタイトル。

ゼビウスの奇跡は、あの当時の基板性能で、現代のゲームでも難しい「グラフィックや演出により、プレイヤーに世界の存在を感じさせる」をやってのけたこと。
ゼビウスの出現によって、世界設定とか演出もビデオゲームに欠かせない要素 = ゲームは総合芸術足りうる、という認識が確立した。
これが、「近代ゲームの始まり」といわれる由縁だろう。

#
ゼビウスのようなものを「近代ゲーム」つまりビデオゲームの正当進化と捉えたことによって、「ゲームが表現する世界に魅入られるプレイヤー」と「ゲームはコミュニケーションのための手段や目的でしかないプレイヤー」との断絶ができて…
という話は、また今度。

ゲーメスト末期とか

ゲーメストのバックナンバーが面白い その2 - 不定期で消失日記
私と一世代違う感じ。何を持って一世代かと言われると説明できないけど。
「ロクヨンDREAMで鬼畜王ランスの話」という微妙さがメスト末期っぽいというか。
インドからどうやってヤクを密輸するかという話を半ばマジで書いてたBeメガに比べりゃ...
以上、年寄りのしょーもない話。
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ああ、沖縄に行きたい…

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