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「死ぬまでにやりたいゲーム1001」を読みました

過去40年間に発売されたゲームから1001本を厳選し紹介する大著、その日本語版。
900頁以上、本の厚さは6cm、お値段は6800円。明らかに好き者しか買わないような企画であり、これを日本向けに出す決断をした出版社に感謝です。

北米で出版された本ということで、日本だとなじみの薄いタイトルも多い。しかしその審美眼は確かで、エポックなタイトル、大ヒットしたタイトルは外さずに収録されている。
画面写真が添えられているタイトルは全体の8割ぐらいで、写真は総じて非常に美しい。各ゲームには発売年・機種・開発元・ゲームジャンルのデータ付き。

この本の真の価値は、各タイトルに添えられている1000字程度の紹介文にある。
ゲームの内容そっちのけで思い出を延々と語ったり、ギャグ調だったりニヒル調だったり、あるいは書き手しか理解できないポエムを垂れ流したり…といった、レトロゲーム記事にありがちな紹介文はひとつとして無い。
敬意を払い、魅力を的確に紹介し、適切なユーモアと最大限の賛辞を備える。レコメンド(推薦文)としてこれ以上のものは望みようがないと言えるほどに質が高い。

一部を引用してみよう。

ドリフトも重要だが、これは、最初に臨界角に持っていってロックするというより、ターンの間中ずっと車の慣性に抗いながら補正を加え続けるという問題だ。アーケードゲームとしては、驚くほど奥が深い。

-「セガラリーチャンピオンシップ」


ドラキュラ伯爵の亡霊は「悪魔城ドラキュラ」シリーズのどの作品にも登場するが、優れた作品は、プレイヤーの目的はドラキュラではなく城の方だ、ということをきちんと理解している。

-「悪魔城ドラキュラ」


技術より記憶力の方が必要とされるが、東亜プランの他のゲームのキャラクターなど、いろいろな隠しボーナスも多く、よくできたゲームだと言える。
同社がゲーム史上で果たした役割は大きく、ここから世に送り出された数々の傑作に比べれば、奇妙な英語の失敗なんか、まったく取るに足らないものだろう。

-「アウトゾーン」


寄稿している30人以上の執筆者はいずれもプロ中のプロであり、大手新聞で執筆していた方も名を連ねている。
この本を読んでいると本当にその通り、「死ぬまでにそのゲームをやりたくなってくる」。知らなかったゲームに思いを馳せてしまう。
6800円の価値は確実にある、良い本です。
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Mac GUIの「流れ方向」

Macのインターフェイスには、以下のような大前提がある。それは、
 インターフェイスは、左上から右下に向かって流れる
というもの。

MacUI_el_01

本のレイアウトと同じ考え方になっていて、「ユーザーの作業」や「時間」といった漠然としたものが、左上から右下に流れていく感じ。

だから保存ダイアログなどではボタンが「右下」に来る。
正確に言うと、「ユーザー利益からみて最適な選択肢」を右下に置くようになっている。
そして、本流ではない非推奨な選択肢が左下に来る。

MacUI_el_02

付け加えると、
「ウインドウの操作ボタンは左上」
「ゴミ箱はDockの右隅」
なのも、この「流れ方向」に従っているから、その位置になる。

とある絶望

今日も独りで書類を修正していた。
今回のトラブルのすべては私の無知から発生した。見落としと、無知と、楽観と。
「専門家とは、非常に狭い分野で、ありとあらゆる失敗を重ねてきた人間のことである」 と、ボーアは言った。だとしたら、私は最後の最後まで失敗を重ね続けるということだ。

私は書類を修正する。しかし、そうしている間にも別の誰かが書類を増やしていく。そこに込められているノウハウや注意事項や勘による意匠などは、私には伝わらない。
他人が記した書類の意匠を知るには、その思考をトレースしなければならない。書類を調べ、時間は消費されていく。しかし意匠を確認しなければ、大きな損失が待っている。
せめて脚注やコメントがあればと思うが、それを書き残す文化は、ない。
その場しのぎの仕事をしていて、それに不満を覚えつつも誰も改善しようとしない。書類の再利用がスムーズに行えない。
やった人、知った人に聞くしかない。その人が思い出さなければ、同じ失敗を繰り返して終わり。

後に見た人間が同じ過ちを犯さないようにいままで書類を修正し、コメントもつけてきた。
だけど、高い能力を持つ少数の人間の好きにやらせて、彼らが作り出す書類を起点にただ改良と流用を重ねるようにすれば、それがいちばん効率的なのではないか?
そうすればエントロピーの増大は防げる。 意匠も、思考も、理論も、ノウハウも、彼らの頭の中にありさえすればよく、外に出さないのだから曲解もミスの再生産も起こらない。
事実、身近にいる優秀な人物は、コメントの付加も過去文献の整理も書類の修正もやっていない。頭の中にノウハウを溜め込んで出力さえ正しければ、それがいちばん効率的なんだ。

この考えに思い至り、投げやりな気分になった。

いともたやすく行われるえげつない行為

メキシコで麻薬組織が一般人を平然と殺したり、テロ組織が一般人を平然と巻き込んだりする。それは確かに残虐だ。
そして私達の身の回りでも、残虐な行為は日常的に行われている。いじめ、パワハラにセクハラ、炎上、野次馬。
人権を無視する、つまり「人を人として扱わない」という点では、麻薬組織やテロ組織の行為と、私達の行為は同じ。人命が掛かるかどうかの違いがあり、それは人命を奪うときのリスクに大小があるから。リスクが大きいから私達は直接的な暴力を行使しない。

私達は麻薬組織のように、属する集団の利害の為に残虐行為を働くことはあまりない。
※ 集団の為に行動できるようになるためには訓練が必要で、そういう統制の取れた集団は暴力を扱う類いのものが殆ど
実際には個人的な衝動から生まれているはずの残虐行為は、その理由付けも個人的になるはずだが、それだと正当性に欠けるので "常識" や "規範" を持ち出して正当性を付与すると良い。
「〇〇だからいじめられて当然」「〇〇だから炎上して当然」その〇〇は本当はまったく原始的で個人的な感情で、それに "常識では" "社会的には" システム的には" といった最適な枕詞を付加しておけば、防御力が高くなる。
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ああ、沖縄に行きたい…

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