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おしい!広島県 について

広島県が「おしい!広島県」というPRを始めました。

負けかかっている側の自虐PRは負けを確定させるのでやってはいけない。
大事なことなので強調しておきました。
※ なにをもって負けとするかという話ですけど、地方はどこも負けかかってるようなもんです今のところ

とりあえず前例として、ソニーのβ規格とセガのドリームキャストを挙げておきます。
βがVHSに押され始めた頃、ソニーは「βは負けたのか?」(うろ覚え)というコピーで広告を出しました。
βはむしろライバルより優れてるというのが広告の趣旨だったけど、コピーの印象が強すぎて逆に「βって負けてたのね」という印象を与えてしまいました。そしてそのままVHSに敗れました。
そしてドリームキャスト。湯川専務そして「セガなんてダッセーよな」「セガは倒れたままなのか」というあれです。
金を湯水のように使ったプロモで話題性は高く初速は良かったけど、あとはまったく続きませんでした。
人は勝っているハードを買うのであり、ハードを勝たせようとして買うのではありません。
セガは秋元康に騙されていました。

自虐PRというのは、広告代理店がじり貧の客から金を巻き上げるための型ですよ。話題性だけを考えていて持続性がない。
タレントを使いまくった演劇風のCMはゴミそのもの。地方PRなんだからリアル地方人やリアル地方映像を見せないと意味がない。「広島県に来ればCMみたいなものが観られる・体験できる」という形でないと。
派手だけど情報が薄い公式サイトはクズそのもの。必要なのは観光資源の的確な情報と検索性だよ。交通機関、場所、見所、おすすめ観光ルート。

いいかげん、広告代理店が「話題性」だけを考えていることに気付かないと。PR=話題性だと結論づけているような企画はカスそのものです。
広島県に "正しく" 興味を持ってもらうには正攻法しかなく、自虐PRなどの邪道は金をドブに捨てるだけなのを見抜かないといけない。広島県の広報担当はそれを見抜けなかったらしい。
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東南アジアのとある国にて

東南アジアのとある国で見た風景、それはウイリアム・ギブスン的だった。
高層ビルがなく建物はほとんど平屋、軒先でいろんな物を売る人たち。スーパーやコンビニが無い代わりに露天があふれてるイメージ。
125cc以下のバイクが人々の自家用車であり、幼稚園の送り迎えから荷物運搬まで悉くをバイクでやる。バイクの乗り出し価格は日本の半額だが、それでも給料の3ヶ月分近いという。

街に目をやれば、目に入るのはハイテク製品と見知ったブランド。
そして皆が持っているのはNokiaのちっさなケータイ。時間つぶしにiPhone。そこらじゅうにあるWi-Fiアクセスポイント。ベンチに座って客を待つ運転手はPSPに興じていた。
露天の看板には、読めない現地語に混じって見慣れたロゴが。Nokia。HONDA。YAMAHA。Intel。Pepsi。LG。TOYOYA。Apple…
生活水準も生活環境も日本とは大きく違うのに、持っているハイテク製品だけが日本と変わらない。上から下まで浸透するハイテク…と、ギブスンの小説さながらの世界を見てきた旅でした。

書いて外に出さないともうどうしようもないので出した。
読まない方が良いです。











































子供の頃、町内でソフトボールのチームがあって、みんなそこに入ることになってた。
私はソフトボールが嫌いだったし野球が嫌いだった。いやそうではない。友達同士で気楽にやる空き地野球は好きだったけどチームに入ってやる野球は嫌いだった。
きっかけはよく思い出せない。たぶん強制されるのが嫌で、あと集団行動もしんどかった。友達や身内との会話は楽しいが知らない人との会話は辛い。たぶん会話自体はそんなに好きじゃなかった。今でもそうだろう。
まわりの皆はそこそこ楽しそうにやっていたけど私の内心は練習ごとに「早く終われ!」と繰り返していた。
この体験。皆はちゃんとやっているのに私だけが嫌々やっていて、私はそれを一応おもてには出さない。思い出しただけでも暗い気分になる。
悪いのは自分で、ちゃんとしなさいというかけ声には応じたい。でもはっきりいって嫌なもんは嫌で、すべてが自分のせいなのだった。
んで、あれの話。
プレッシャーは来るしそれに応えたいとは思ってる。でもダメだ。「応えたい」と思ってる時点でダメだ。自分のためにやってない。というかやる気がない。あの頃のソフトボールと同じ。
一応電話で話をしてはみた。でもそこでの会話は社交辞令そのものだった。必死で言葉と話題を選んでる自分がいて、それなのに自分のことはほとんど話さなかったように思う。コミュ障というやつだ。
そもそも、自分について話せることなど対外的には何もないのだ。大学時代、自分の好きを他人に強要していたのに気がついて、それからは自分の好きなことをおおっぴらにはアピールしなくなったし、他人を誘うこともあまりなくなった。
それに私の趣味には普遍性がない。ひとことで言うとオタクであり、まわりに共通の話題を話せる人はいない。ゲームから哲学まで私の中では一貫しているが他人からみればメチャクチャな寄せ集め。
会ってどうする? 会話なんてどうせ続かない。いやとにかく会って何かすればよいのか? いっしょにご飯でも食べる? ドライブ? というか、こんなこと思考してる時点でもうどうしようもない。そしてもうとてつもなく嫌になる。子供の頃から何の進歩もない自分に。自分で自分の首を絞めている自分に。
だから端的に言うともう放っておいてほしいのだけど、たぶん最後まで放ってはおかれず、そして最後に私は己の馬鹿さ加減を死ぬほど呪うのだ。応えられなかった自分を。自分で自分の首を絞めている自分を。
そしてここでも応えられない云々と言っている通り、私はそれについて結局最後まで自分のためにやろうとはしていないというどうしようもなさなのだ。
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ああ、沖縄に行きたい…

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