スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

言葉:「二流のヌーベルヴァーグを選択したい」

1992年にリリースされたZUNTATAのアルバム「ヌーベルヴァーグ」。そのライナーノートでは、VGMのあり方について語られている。
語られた言葉は、VGMだけじゃなく、すべてのポップカルチャーに通じるものだった。そのすべてをここに…

『クラシカルなものとして定着している多くの芸術は、その誕生時には、いびつな捉え方をされていた。「バロック」や「歌舞伎」という聞き慣れた言葉ですら、その意味は"異端"を示すものだった。
だからといって(ある意味で異端の)、VGMもいずれはポピュラーな音楽として認知されるということを期待しているわけではない。いや、むしろそうはなりたくない。60年代、トリュフォーやゴダールといった作家の映像を初めて見たときの戸惑いや驚きを、SFXや様々な映像テクニックに慣れ親しんでいる現代人にそのまま求めるのは無理だし、ジュール・ベルヌの「月世界旅行」や「海底二万哩」を今の子供たちに読ませても、当時程のときめきを感じさせることは不可能だろう。
その意味では、"ヌーベルヴァーグ"とは賞味期限つきの禁断のお菓子なのだ。それを、時代を超えて食したいと思うのならば『定型』という保存料を加えなければならない。そして、その瞬間に「ヌーベルヴァーグ」という呼称は次なるものへと逃げてゆくのである。
時代は変わっても人間の本質は変わらない、なんて誰が言ったのだろう?
誰とも違わない本質なんてつまらない。定型化して解釈付きの芸術となるよりも、二流のヌーベルヴァーグを選択したいのだ。

「泣きたいものは泣き、笑いたい者は笑え。」(ジャック・ドゥミ)』



comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

waverider

Author:waverider

ああ、沖縄に行きたい…

最近の記事
カテゴリー
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。