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ニセ科学批判 vs ニセ科学批判批判について

「ニセ科学批判 vs ニセ科学批判批判」というのは長過ぎるので、「批判 vs 批判」と表記することにしよう。
最近考えていたことがある程度まとまったので、断片を繋ぐ形で書いてみる。
私の中では、「批判 vs 批判」問題はこれでカタがついた。後は野となれ山となれ~。



「批判 vs 批判」において科学の更新性や真理の定義についてやり合っていることがあるが、あれは意味がない。
なぜなら、法則が差し代わろうが真理の定義が変化しようが、「科学は正しい」という合意が変化していないから。

最も重要なこと。
「正しいこと」は、権威を帯びる。
これは文化や規範を超えて働く、人類共通の法則だと私は考えている。
この「正しいこと」は種類を問わない。神や科学や真理や道(タオ)やダルマ、何でもよい。
例えば、ある人が「正しいこと」を発言し、聞き手もそれを「正しいこと」だと認識した場合、その発言や発言者は権威を帯びる。
権威とは、大辞泉によると「他者を服従させる力」のことで、その強力さゆえ取扱には細心の注意を払わねばならない。

・理性的で合理的な"科学的思考"は、正しい。
・ニセ科学批判者も、ニセ科学批判批判者も、科学は正しいと認識している。
・ニセ科学批判者は、正しいことを言っている。
このような構造が出現することで、ニセ科学批判者は自動的に権威を帯びる。
だから、彼らの発言は「権威を帯び、強制力を持つ言葉」として放たれてしまう。

#
「科学は正しい」という共通認識に縛られつつ議論を行っているという形は、宗教論争といえなくもない。「お前は間違っている」と言いはしても、「科学は正しくない」とは誰も言わないわけだ。

批判批判者が述べる「科学は絶対不変じゃない」「科学は完全じゃない」という反論は、権威を行使される側が発するなけなしの反論と捉えるべきだろう。
そんな反論を述べたとしても、上記の構造が維持されている限りニセ科学批判者の上位性は崩れない。なにより権威が消えてくれない。

「批判 vs 批判」の争いを止めるには上記のような構造を出現させないようにすればよいけど、双方が「科学は正しい」と思っているのでこれは無理な相談だ。
だから、「正しいこと」から発生する権威 =「他者を服従させる力」の取り扱いを注意深くやるしかない。
したがって、「批判 vs 批判」の問題は、ニセ科学批判者の態度や振る舞いの問題に帰結する。

親と子、教師と生徒、上司と社員、警察と一般市民など、「相対しているうちの片方が、権威や権力について相手を上回っている状況」において、権威側が、己に権威が備わっていることを自覚しない振る舞いをしてしまうと悲惨な結果を招きやすい。
自分がなぜ相手より優位に立てているのか。相手はなぜこちらの発言を真っ向から否定しないのか。一般市民はなぜ自分にあっさり従うのか。
自分が帯びている力の強さや性質を知らないと、その気も無いのにいろんなものを傷つけかねない。

おまけ
西洋(プロテスタント)の合理的思考や科学的思考というものは「神 → 真理 → 科学なので、科学の探究は神への道」という根拠がある。
西洋史の視点からいうと、一神教を信仰することと合理的・科学的思考を追求するというのはセットの概念なのだ。
ところが、日本が近代化する際には、合理的思考や科学的思考は輸入したが一神教は輸入しなかった。
では、合理性追求や科学探究の根拠として日本人が一神教の代わりに据えているものはいったい何か?
それは儒学や朱子学ベースの、勤労や勉学を尊重する概念じゃないかと思う。
つまり、プロテスタントは「神を信じる、だから科学を探究する」なのだが、日本人は「勤労や勉学を尊重する、だから科学を探究する」という図式ではないのかと。
逆に言うと、日本では「科学に背を向ける奴は怠け者でアホで自己責任」という考えを裏でしてしまいがち、というか。
プロテスタントの根本主義者が「科学に背を向けるものは神の真理に背を向けている」と言っちゃうのと、どっちが寒いだろうか。(比べるこっちゃないな…)

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権威の取り扱い

waveriderさんのニセ科学批判 vs ニセ科学批判批判についてと云うエントリを読んだ。 いやまぁ、もうこんな話題不毛な気もするし(apjさんの「ニセ科学批判」はワイルドカード入りだし、「ニセ科学(蔓延防止)対策」の1つの手段であると云うエントリでいちおうの整理が?...

[疑似科学]科学的・合理的精神をより普及せしめることによって社会を是正しなけりゃならん

これ以上やってもしょうがないので、ニセ科学一般について述べるのはこれで最後にする。 あとたぶんこれに対する反応には応答しないのであしからず。 「批判」と「対策」 waveriderの日記  ニセ科学批判 vs ニセ科学批判批判について したがって、「批判 vs 批判」の問題は

comment

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可也の危険物?

・ニセ科学批判(者)とは科学の啓蒙運動の一種のように見えますが、科学とは関係が薄く、道徳或いは道徳的価値観の啓蒙運動のようですよ。
そして道徳(或いは哲学)は、宗教と切っても切れない密接な関係が有る。
ある種の『ニセ科学批判』は恐ろしい事に間違いなく新種のカルト宗教ですよ。
ですからこの人たちとの論争では、如何しても物事の正誤を争う科学論争にはならず、必ず(したくも無い)物事の善悪を論じる神学論争になってしまう危険性がある。
しかも、一度彼等(ニセ科学批判者)が悪と断定した相手に対しては何をしても良いことになっているらしい。
ブッシュジュニアの例に見られる様な、なんとも恐ろしいミニ宗教戦争ですね。
何かの建設的な対話を求める事が目的の他人と争いたくない平和主義者なら、この話題にはなるべく近づかない事をすすめます。

ばかげた誤解というか

妄想振りまかれたままなのも何ですので。

>科学とは関係が薄く、道徳或いは道徳的価値観の啓蒙運動

 違います。対悪徳商法の部分が相当にあります。

>ある種の『ニセ科学批判』は恐ろしい事に間違いなく新種のカルト宗教ですよ。

 具体例を欠いた印象操作の典型例ですね。

>しかも、一度彼等(ニセ科学批判者)が悪と断定した相手に対しては何をしても良いことになっているらしい。

 現行法の枠組みを知っていれば、「何をしてもよい」などというナンセンスな意見が出てくることの方が信じられない。どんな無法国家にお住まいの方なんでしょうね。


apj さんへ。

言葉足らずで、大変失礼しました。
味噌も糞も、『ニセ科学批判(者)』と、一纏めにされたのでは、apj さんが怒られるのは最もですか、このコメントはTBされている記事に対するもの(一部のニセ科学批判信者?限定)で、其れ以外では有りません。
彼らは特殊な価値観を持った不思議な集団で、ニセ科学批判を行っているので一見するとapjさんたちの偽科学批判と見分けが付きにくいが、
彼等の『ニセ科学批判』は科学的な論争ではなく『道徳論争』で、矢張り別物と解釈するのが正しいでしょう。

>『違います。対悪徳商法の部分が相当にあります。 』

apj さんには当てはまらないのですが、彼らは悪徳商法には関心は薄いようですよ。矢張り別物ですね。

>『具体例を欠いた印象操作の典型例ですね。 』も、当方が、TB記事限定で有ると明記しなかった過失があるかもしれませんが、TBしてきた(具体的事例の)記事限定である事を誤解した早とちりした間違った解釈です。

>「何をしてもよい」と言って所詮はリアルな現実世界とは別の、バーチャルなネット空間の事ですから『何をしても』の内容も、所詮たかが知れています。
しかし匿名のネット空間は、ある種の『無法国家』である事も残念ながら事実ですね。

真面目にやっておられたapj さんは認めたくは無いかもしれませんが、
一部集団によるストーカー紛いの嫌がらせ行為や炎上は良く見られる現象ですが、其れが『ニセ科学批判』を理由に行われたのも事実ですよ。
悪質なたんぽぽ解同集団による『偽科学批判』を口実にした糾弾モドキは1年以上経った今でも飽きることなく続いていますし、其れと一時期は共同歩調をとっていた偽の『ニセ科学批判』グループも健在です。
不真面目な『ニセ科学批判』モドキが横行すれば一般市民の支持を失いかねません。
彼等のお陰で、apj さんの真面目な『偽科学批判』自体が危険に曝されている事はないのですか。?

No title

こんにちは。お邪魔します。

お題:「粗雑なニセ科学批判者が現れた場合、良識あるニセ科学批判者たちの活動にどのくらいの悪影響を及ぼすのか?」

これについて、私も考えてみました。
・・・・・・・・
仮に、どこかに粗雑なニセ科学批判者がネット上に存在していたとしても、その者は読者の厳しい批判に耐える事が出来ず、やがては自滅するはず。

というのも、粗雑なニセ科学批判者ならば、他人の意見を跳ね除ける事に終始して、本業のニセ科学批判を疎かにするからだ。

一方、良識あるニセ科学批判者たちは、それぞれが独立して活動を行っているように見える。

つまり、どこぞの粗雑なニセ科学批判者が勝手に自滅しても、各個が独立で動いている他の良識あるニセ科学批判者たちには、さほどのダメージは与えないものと思われる。
・・・・・・・・
ううむ、どこかに認識不足による誤りがあるかもしれませんね。ブログ主さま、気が向いたときにでも指摘して下さいませ。

権威の怖さ。正論の暴力性

>『粗雑なニセ科学批判者ならば、他人の意見を跳ね除ける事に終始して、本業のニセ科学批判を疎かにするからだ』<
は、全くそのとおりで、この人たちは本当にニセ科学批判がしたいのでしょうか。?
いったい何がしたいのでしょう。
それとも自分と考え方の違う人を非難して満足したいだけなのかと不思議に思える人達が大勢いる。

>『仮に、どこかに粗雑なニセ科学批判者がネット上に存在していたとしても、その者は読者の厳しい批判に耐える事が出来ず、やがては自滅するはず』<
であるなら良いのですか・・・・
悪いものが廃れ、よいものが繁栄するとするなら、そもそもニセ科学批判自体しなくても何れは劣っていて悪いニセ科学が廃れるはずです。

TAKAさんの説には(原理的には)賛成したいのですが・・・・

確かに一年以上もストーカーのように関係ない他人(個人)に付きまとってニセ科学批判?を理由にしての解同得意の糾弾闘争モドキの大人のイジメ行為を繰り返していたたんぽぽ集団も、今では(ニセ批判グループの)誰からの相手にされずコメントの少なさを嘆いている。
只連中はそれでも懲りず、反省せず同じ事を一年半も続けていますよ。

そして一時はこれ等悪辣なたんぽぽ集団と行動を共にしていたニセ批判グループもヤッパリ健在で、今でも(自分たちとは)関係ない『批判対象を別の観点から観察する者』に対する『否定、罵倒、軽蔑、揶揄が多く』、その論理はたんぽぽ集団と違いを探すのに苦労するぐらい、凄まじいものがある。
ニセ批判者グループの特徴は、『ニセ科学は悪である』と言う単純な正論と、(自分たちだけが真理を知っていると言う)トンデモナイ上から目線ですね。
これが暴力的ともいえる傲慢な態度の原因で、自分たちとは別な見方をする人を、『相手の主張は何であるか』なんて事には何の関心もなく単に『自分との違い』だけを問題にして集団で一方的に非難する不思議な態度です。
そんな事をすれば『ニセ科学批判』自体がイメージダウンして損害をうけるとは考えないのか。?
『考え方が違うものは許せない』とでも思っているのかも知れないが、『考え方が違うから対話がしたい』と考える私とは大きく違っている。
あれは科学を装っていますが不思議な別々の個人個人の集団ですが、科学的態度とは程遠い。
科学の正義や道徳、正論の権威を無条件に信奉する新種のカルト宗教に近い存在です。
そして今では本来の目的であったらしい『ニセ科学批判』を忘れ果てて自分たちの暴力性を批判する『ニセ科学批判・批判』を批判することに忙しい。
困った事です。

ニセ科学批判って狼少年だったんだねで終了

ニセ科学批判って狼少年だったんだねで終了
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