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権威の取り扱い:Chromeplated Rat への回答? のようなもの

この記事はニセ科学批判 vs ニセ科学批判批判について の、続きのようなもの。
権威の取り扱い:Chromeplated Rat:So-net blog
への回答として書きはじめたのですが、結果として散文的なただの読み物になってしまいました。
従って、回答の体を成しておりません。また、哲学や宗教に価値を見いだしていない人にとってはチンプンカンプンな内容です。
だけど、ニセ科学の周りで展開している様々な問題については、今回のようなアプローチを採らないとロジックが解けないと考えています。
あと、ヒジョーに長いです。暇な時にダラっとした感じで読んで頂ければ幸いです。



その1.
あの記事は、ニセ科学批判批判者が「ともかくお前らの態度が気に食わない」というスタンスを取ってしまうのはなぜか、という疑問に対するもので、ニセ科学そのものは眼中に無かったんですよ。分かりにくくて申し訳ない。
そして結論は、
「双方が科学を信奉しているがゆえ、正しいことを述べる側に権威が発生してしまっている。批判 vs 批判とはつまるところ権威に対する反発であり、"構図" が引き起こす問題だ」
になった、ということです。
意義については、ロジックが解明できたので枕を高くして眠れるという意義があります。これはとても重要なこと。

どうも、権威という言葉を不用意に使ったためにいろんな誤解を招いてしまったらしい。
警察とか上司とかのたとえを出さない方が良かったかもしれない。
権威という言葉は、「他の者を服従させる力」という意味だけに限定して、社会に存在するいろんな権威・権力のことは想像外にするべきでした。
「正しいことは権威を帯びる」ってのは、「重い物体は周りの空間を歪ませる」のようなシンプルな法則、といった程度のものです。

上位性や優位というのは、もちろん権威の話です。
権威のあるところには、必ず上下の区別が発生しているもんです。権威を帯びる側が上位、それを観る側が下位。
聖書ふうに言うと「神の言葉を語るものは権威ある者」であり、神は常に人間の上位にいる。
科学の源流は一神教の神や真理であり、それ単体で人間の上位に立ちうるものです。
これもかなり宗教よりの考え方です。「俺の方が偉い!」とか「俺の方が勝っている!」とかいうのとは、ちょっと違います。
(うまく説明できない…OSにおけるカーネルとタスクの関係というか。余計に分かりにくいか)

#
一神教の神は人間らしさを一切持たない。
個々人の都合なんて考慮しない。人間は神の支配を受ける以外に選択肢がない。自然は厳密に自然法則に従い、人間がそれを曲げる術はない。
一神教の神は徹底して非人間的です。
日本人は合理性や科学といった概念を一神教抜きで輸入したので、科学もまた上記のような「非人間性」を譲り受けていることに鈍感な節がある。
#

上位にあるのは,正確に言うとニセ科学批判者ではない。
"合理性" あるいはその具象といえる "科学" こそが上位存在であり、ニセ科学批判者は "合理性" や "科学" の代理人であり権威を帯びる者とみなされている、という形ではないかと思う。
批判批判者が反発している相手は、実のところ、矢面に立っているニセ科学批判者でもないし、 "合理性" や "科学" でもないんじゃないか。
本当の相手は、批判者の活動によって生じている "権威" なんじゃないか、ということ。
この辺の考えは、宗教の方向に偏り過ぎかもしれない。
でも宗教を用いることで、「なぜ、ニセ科学批判者は、ニセ科学を信奉してない人からも煙たがられることがあるのか」という問いに対してシンプルな回答を引き出せます。


その2.
トラックバック先の後半に書かれていた、不誠実であるとの話については、申し訳ないがまったく意味が理解できませんでした。
たぶん、ニセ科学の周辺について、その現状認識に大きな隔たりがあるからだと思います。両者の世界観が根こそぎ異なっているというか。
なんで、ニセ科学についての私自身の見解? あるいは私の世界観? のようなものを書いてみます。

理性的な人は、認識宇宙を理性のナイフで適切に処理することができる。
あれは科学の範疇、あれは道徳の範疇、あれは芸術の範疇…というように、認識宇宙を適切に切り分けて、うまく処理することができる。
正体不明なものをナイフで解体して、その実体や構成原理を知ったりもできる。
…ここで、現代の状況を考えてみよう。
現代の繁栄は科学抜きでは語れない。誰も科学の恩恵を否定しないし、できない。
我々の周囲には科学技術が生み出したものがあふれている。科学技術は高度化し、人々が手にするものの構造は複雑化とブラックボックス化の一途を辿っている…
そんな状況だと、"科学" がどんどん肥大化・怪物化してしまう。
『科学は万能だ。科学はいずれあらゆる問題を解決できるようになる。科学こそが真理だ。原理はよくわからんが科学スゴい!』
…といったように、肥大化が盲信を生んでしまう。
さらに、『科学は人間の都合なんて考えてくれない。合理性は感情を殺す。科学が環境を破壊する。科学コワい!』
…のように、科学や合理性の持つ「非人間性」が怪物化して、恐れをも生んでしまう。
現代の状況を発生源とする、科学に対する盲信や恐怖。これが、ニセ科学というキメラの存在を許してしまっている。

理性的な人なら、こんな状況下でも適切にナイフを扱うことができる。「非人間性」を恐れたりしないし盲信もしない。
なぜなら、"科学" や "合理性" について得心しているから。
彼らの眼には、肥大化・怪物化していない "科学" や "合理性" の本来の姿が見えている。
翻って、そうではない人も数多くいる。
"科学" や "合理性" について得心しておらず、盲信や恐怖が先に立ち、認識宇宙の適切な処理が行えなくなる。
ニセ科学批判者は人々に向かって「理性的であれ」と一所懸命に叫ぶんだけど、まず "科学" や "合理性" について得心しないかぎり、理性的な態度を持つことがそもそもできない。
好きこそ上達の秘訣みたいな感じで "科学" や "合理性"について楽しく得心できるのなら、どんなにいいことか。
ニセ科学批判者のような理性的な人は、幸運にもそれを無自覚のうちにやってのけているが、それができない人が少なからずいる。
さらに、一度得心したとしても、この世界にある理不尽で非合理なイベントが得心を揺るがし続ける。

科学が世界を覆いつくしはしたが、世界はいまだに理不尽で非合理なまま。
こんな状況化で、人々が "科学" や "合理性" について得心するにはどうすればいい? 得心を維持し続ける術はあるのだろうか?
個人的にはパーシグが「禅とオートバイ修理技術」で提示したような、ギリシア哲学ベースの真理概念を広めていけばよいとは思うけれど。
あれが万人に受け入れられるとはさすがに考えにくい…

ニセ科学批判者が現在採りうる手段としては、やはりモグラ叩きしかないのでしょう。

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[疑似科学]権威の個人化

無視しようかと思ってたけど、根本的な齟齬が見えてきたので。 今度こそ最後だと思う。 権威と権力の区別 まず、権威と権力は意味が明確に異なる。それをごっちゃにしてもあまり生産的な議論にならんと思う。 waveriderの日記  ニセ科学批判 vs ニセ科学批判批判について

comment

管理者にだけメッセージを送る

No title

>科学が世界を覆いつくしはしたが、世界はいまだに理不尽で非合理なまま。

自分自身も含め,こんな(言葉は悪いが)とんちきな認識(発想といってもよい)をしている理系学部出身者は知らない。いたとしたらかなり希有な存在だろう。

あなたには,言葉遊びでなく,誠実な対応を求めたい。
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ああ、沖縄に行きたい…

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