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科学と一神教は相似形

散文的に。

1. 科学の場合
原点 = 法則や理論などと呼ばれる、統一的説明
上記のような原点を見いだそうとする活動の総体。
使うもの = 数値化された事実、数学(正確に言うと、数学が持つ強力な証明能力や理論導出能力)、検証による真偽判定
論証により発見された"原点"が、影響を拡散させる。新たな技術可能性や新たな原点の発見可能性を生み出すような影響。

2. 一神教の場合
原点 = 神。またはその具現である、真理。
上記のような原点を仮説により見いだそうとする活動の総体。
使うもの = 自然の観察。論理。討議による真理の決定
討議によって決定された"原点"が、影響を拡散させる。人々の生活やマインドの形成にある方向性を与えるような影響。

この世界は、真理を出発点とした階層構造を取るという認識。
ギリシア文化に起こった「自然を観察することで人間は神の領域に到達できる」という認識。
一神教の元でこれらのマインドセットが駆動して、科学が生まれた。

中国には中世ヨーロッパよりはるかに進んだ技術(火薬や羅針盤など)はあったが、科学は生まれなかった。なぜか。
それはおそらく、科学の根底には人間が宇宙からつくられたという認識が不可欠だからだろう。
ヨーロッパの人々は、創造主はもともと宇宙から来たのであり、宇宙は神のつくった厳密な法則に支配されていると信じていた。
人間はその隠れた法則を見いださなければならない。
ところが中国では、唯一神とか世界を支配する神聖な法則とかいう概念は生産的でなく、万物は陰と陽の相互作用から生ずると考えられていた。
科学の生まれる余地はなかったわけである。

- チン・ズアン・トゥアン「宇宙の起源」より -



科学は一神教が育んだものだし、真理とか法則といった「概念(実体が存在しないという意味で)」を原点とすることも同じ。
つまり科学と宗教は相似形。違うもんだけど、その様態はそっくりさん。
すなわち、" 人間が巻き起こす、知的活動や影響拡散の様態にはある種のパターンがあり、その大規模かつ先鋭的な例が科学や一神教である " と結んで終わり。


科学は3つの規範を旨とする。すなわち「数量化された事実のみを扱う」「検証による真偽判定」「自然現象の普遍的・統一的構造を説明しようとする」。
科学というのはこれらの規範を旨として真理へと突っ走っていく活動およびその成果の総称とでもいえばいいか。
逆にいうと、これらの規範に合致しないものは科学から取りこぼされる。いろんなものを取りこぼしまくるので、科学オンリーじゃどうにもならない。

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