スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ブレない原義

自由の核心にあるもの - 地を這う難破船 を読んで。

近代における「思想の自由」や「表現の自由」というものは、キリスト教の二王国論が基礎になってる。

例によって、橋爪大三郎「世界がわかる宗教社会学入門」から引用。

二王国論は、キリスト教の基本ですが、イエスの「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」という言葉に基づいています。
要するに、魂を支配する教会と、地上を支配する世俗の政治とは別であるという考え方です。
~中略~
これが中国の儒教なら、どうしても政治的統一が必要です。
統一が解体すると社会も壊れてしまうのですが、ヨーロッパの場合、政治的統一は必ずしも必要ではない。
だから民族ごとの国民国家を作れるし、地上では国民主権は絶対でありうる。
さらに、その絶対主権を市民が奪い取ってもいい。ここまでいけば、民主主義ができます。
二王国論は、ヨーロッパの封建制、絶対王政、近代国家の基礎になりました。

そして、思想の自由、言論の自由の基礎になりました。教会と国家は独立しているのですから、教会が言論で権力を批判してもいい。
言論のことは言論で決着して、権力を介在させない。こういう習慣から、自然科学が起きる。
キリスト教でなければ、なかなかこうはいきません。


つまり、「表現の自由」や「思想の自由」というのは、世俗の政治や権力者などの束縛を受けないという意味で「自由」である、ここが出発点になってる。
# 「自由」という言葉自体も、もともとは解放奴隷を指してるらしい。

個人的には、猫さんの周辺で「表現の自由」についてのやり取りが続けられた結果、ついにはその原義にまで遡るに至ったのが面白かった。
これだけ "思想" が複雑化して手に負えないような状況になってる現代でも、その原義は相変わらず揺るぎない。
原義というのはいわばマンダラの中心みたいなもんだから、ブレてなくて当たり前なのかもしれない。
だけど、その当たり前っぷりを今回目の当たりにして、いろいろと感心させられたのでした。

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

waverider

Author:waverider

ああ、沖縄に行きたい…

最近の記事
カテゴリー
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。