スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ゼビウスはなぜ「近代ゲームの始まり」なのか

ゼビウスが「近代ゲームの始まり」といわれる理由を考えてみた。

ビデオゲーム論議によくある「グラフィックが点や線でも面白いゲームは面白い」という理屈は、絶対ではない。
ビデオゲームは総合芸術の側面を持つ。
映画を見れば分かるけど、「シナリオが良ければ演者や演出がダメでも映画は面白い」という単純なことにはなっていない。
映画の根幹がシナリオであるのと同様に、ゲーム性もやはりビデオゲームの根幹であり続けている。
でも、総合芸術であり疑似体験でもあるので、「ビデオゲームをプレイするという“体験”」がスポイルされてしまう。

ゼビウスというビデオゲームの最大の評価ポイントは世界設定で、ゲーム性ではない。
背景の作り方は、映画や小説のそれに近い。世界設定を構築しておいて、それからグラフィックや演出を引き出す形になっている。
統一感のあるグラフィック、プラグサやシオナイトの演出、ナスカの地上絵など現実世界と共通するモチーフ。
これらが、「ゲームから世界の存在を感じる」ことを可能にする。
ナムコ黄金時代を彩るゲーム群の中で、従来のビデオゲームの枠を逸脱した唯一のタイトル。

ゼビウスの奇跡は、あの当時の基板性能で、現代のゲームでも難しい「グラフィックや演出により、プレイヤーに世界の存在を感じさせる」をやってのけたこと。
ゼビウスの出現によって、世界設定とか演出もビデオゲームに欠かせない要素 = ゲームは総合芸術足りうる、という認識が確立した。
これが、「近代ゲームの始まり」といわれる由縁だろう。

#
ゼビウスのようなものを「近代ゲーム」つまりビデオゲームの正当進化と捉えたことによって、「ゲームが表現する世界に魅入られるプレイヤー」と「ゲームはコミュニケーションのための手段や目的でしかないプレイヤー」との断絶ができて…
という話は、また今度。

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

waverider

Author:waverider

ああ、沖縄に行きたい…

最近の記事
カテゴリー
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。