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言葉:ただ断片が敷き詰められている。

W・バロウズ「ソフトマシーン」のあとがきより。
永田弘太郎によるバロウズ評より、カットアップやフォールドインといった技法に対しての部分。

1.
ヘミングウェイの小説は、何かあるものを言葉によって描写しようとしている。
何かとは、イメージとか思いとか、自然の力だとか、哀愁だとかそんなものである。
バロウズの小説もそうであるが、そうではない。
イメージはあるが、それはヘミングウェイのように言葉と言葉、文節と文節の間から出てくるものではない。
言葉そのものが一対一対応で持っているイメージが彼の小説の基本となっている。
そこに「深み」とか「影」とか「過去」といったものは存在しない。いうなればポップなのである。

2.
世界は語られることなく示されるだけだ。
物語は始められることもなく、完結することもなく、ただ断片が敷き詰められている。


今から15年ぐらい前、スキャナーが一般人でも何とか買える価格になった頃。
有名な風景、絵画、彫刻etc…の写真をスキャンしてコラージュ作品に仕立てて、「この世にオリジナルなんて無い!」と叫んだ卒業作品があった。
私には、その作品は「断片の寄せ集め」にしか見えなかった。
個々の断片に価値は宿っていたが、作品そのものに新たな価値が宿っているわけではなかった。

いかに革新的で野心的で諧謔的な手法であっても、うまく作らないとダメというのは、「ソフトマシーン」のあとがきでも触れられている。

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