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最終的に、作品世界は破壊される。

小説やマンガを連載するときは、例えば「能力者たちがド派手なバトル!」「異世界から来たキャラがどたばた!」みたいな、分かりやすい面白さありきである。
だから、世界設定や背景をきっちり詰めてから始めることはまずない。逆に詰めてない方が選択肢に自由ができて良いという話もある。
で、連載が続いて話が進んでいくと新キャラや新エピソードや新設定などが増えてきて、主人公たちを取り巻く世界とかシステムとかがだんだん組み上がっていく。
この段階になると、スタート時とは逆に、世界設定を詰めた方が物語を廻しやすくなったりする。
ところが、"世界設定を詰める"というのは、連載開始時のキモだった「ド派手バトル」や「キャラがドタバタ」のような原点に制約を付けることにもなる。
設定を詰めるほど、作品の奥が深くなり、しかし作品の面白さの原点には鎖がまとわりつく。
このような状態は、いずれ臨界点を迎える。
非日常を可能足らしめている設定 = 世界を存続させるか、破壊するか。

宇宙英雄物語が、「想像オチ」で異世界を粉みじんにしたり。
怪獣映画のオマージュだったはずのエヴァが、最後にはああいう結末になったり。
最初は萌え+学園+魔法だったネギまが、魔法世界の破滅云々の話になってしまったり。
まさに “疑いを抱くな!針の先ほども疑えば、この世界は消滅するぞ!” である。

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「超電磁砲のディストピア的設定に不快感を示す人が少ないのはオタクが病んでるから」とのたまうなら、「冷静に考えると子供が大人の思惑通りに動いてないか?」的な作品、例えばハリーポッターとかポケモンとかを受容する多数の人々が病んでる、という結論になるわけだが。
「作品の受け手は、作品設定をフィクションとして処理することができない」という個人的感想を前提に論を張るのは、性的ゲームや暴力ゲームに規制を求めるどこぞの団体と大差ない思考様式といえる。

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ああ、沖縄に行きたい…

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