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「劇場版まどかマギカ 叛逆の物語」感想:繰り返す物語

劇場版まどかマギカ 叛逆の物語を観てきました。以下ネタバレ注意〜










TV版のラストで、これはキリスト教における救済のロジックと一緒だという感想を書いたけど、劇場版はそれに対して悪魔が出現するという、またもキリスト教的な展開でした。

あらゆる事象がただそこにあるだけなら、悪魔は生まれない。
神が生じて「残酷な出来事かもしれないが摂理なので受け入れなければならない」となったとする。その理不尽を受け入れられないものが「自分を満足させるために」残酷な行為を作為的に引き起こしたとき、そこに悪あるいは悪魔と呼ばれるものが生まれる。

まどマギの成功のうちかなりの部分をあの不穏なビジュアルが占めてると思うんですが、劇場版はその魅力が炸裂してます。最初から最後まで安心して観られる場面がほとんど無い(褒め言葉)。バトル描写も凄まじい。共闘あるいは昨日の敵は今日の友みたいな、見たいもの見せましょう的な状況が連発するのも良いです。

まどマギのシナリオは以前からゲーム的だと感じていて、メリットとデメリットを明示して選択させるところとか、今回の劇場版のようにTV版での細かい部分を拾ってつなぎ合わせて新しいシナリオを織ってたりするところはアドベンチャーゲーム的なアプローチだと感じる。TV版のラストシーンやお菓子の魔女の本来のプロフィールを知っているとオオッと思うような描写もあったり。
映像作品のシナリオは人物の想いがロジックを無視しすぎて超展開になったりするんだけど、まどマギはロジックと人物感情のバランスが良くて破綻を感じないのがいい。

5人の魔法少女の願いを大別すると、純粋に自分のために願ったのはマミさんだけで、あとは「他人を救いたいと願ってるけど、実は自分が満足したいだけ」という歪んだ願い。
杏子はなんやかんやあってその歪みを自覚して、まどかは他人の対象が広すぎて概念化しちゃう。
残りはさやかとほむらだけど、この二人は「願いの内実は己の欲望」という点で一致している。
歪みを克服できなかったさやかが魔女化したのと同じく、歪みを自覚しないほむらもああなる。
一度それを経験したさやかがほむらに積極的に介入するのは、杏子がかつてそうしたのと同じ。
それで止められない所も同じ。同じ状況を繰り返しながらも結局は止めるすべがない。

終わりの瞬間に救済されるのを良しとして粛々と従うのか。
摂理に反抗して欲しかったものをキープし続けながら騙し騙し生きていくのか。
後者のやり方はまさに悪なんだけど、そちらにも強く共感してしまう。

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ああ、沖縄に行きたい…

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