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劇場版まどかマギカの悪魔学

劇場版まどか☆マギカのネタバレ全開なので注意です。









まずそもそも、悪魔とは何か。
カトリック百科事典では、悪魔というものを定義するのに「神の敵手」という表現を用いている。つまり

悪魔とは、神の反像である。
神が出現しない限り、悪魔も出現しない。


世界には素敵なもの、残酷なもの、ひどいものなどが渾然となって存在しているが、人間にとって残酷なものでも神にとってはそうではない。
ヘラクレイトスの言葉を借りれば「神にとってはこの世の一切が正しい」のであって、それは悪ではなく、災いや死の脅威というたぐいのものである。

人間が神を「善なるもの」と定義したことにより、渾然一体だった善悪のうち悪が切り離され、世界が「秩序ある状態」になった。ただしそれは分断状態でもある。
世界の分断は抑圧として作用し、結果として分断以前の、原初状態への回帰願望を生んだ。
秩序以前への回帰。秩序を生んだのが神ならば、それは必然的に「神の反像」の形をとる。これがいわゆる悪魔主義(サタニズム)である。

ただし、これはあくまで人間の側から見た話で、世界は相変わらず神にとって「一切が正しい」ままである。
善悪というのは人間特有の問題だ。不死である神は善いことも残酷なことも分け隔てなく行なう。有限の命しか持たない人間がその諸行為を「自分の都合で」善いものと悪いものとに振り分ける。
死への脅威から生じる「自分の都合」。ショーペンハウアーが「個別の原理」と呼び、仏陀が「渇愛」と呼んだもの。これにより、一切が正しいはずの世界が善と悪に分かれて見えるのである。

まとめるとこういう流れになる。

原初状態(善悪が渾然一体) → 善神の出現による世界の分断(秩序の出現) → 原初状態への回帰願望(悪魔主義)




実のところ、概念まどかの出現以前と以後とで、エントロピー効率を除けば世界は大して変わっていない。
円環の理は魔法少女の希望も、それに伴う魔女の発生も否定しておらず、ただ現世への魔女出現を防いでいるだけ(終わりのときに迎えにくる = 救済)なのだ。
ただ、人間まどかを「自分の都合で」渇望するほむらは、最後の時に迎えにくるのを待ち続けるなどという、不確実で永すぎる道のりに耐えられなかったのだろう。神の救済を待てない信者というのは宗教の永遠のテーマでもある。
おとなしく神の迎えに従うのではなく、あくまで「自分の都合」を優先させた形で神への回帰を試みる。
このほむらの強烈な人間らしさに私はひどく共感してしまう。

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ああ、沖縄に行きたい…

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