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スコアを晒しながら歩く地獄

ネットの発明のひとつに、「スコアをリアルタイム表示できる」というものがある。
昔はホームページにアクセスカウンタを設けて来訪者数を表示したりしてた。当然ながらインチキクリック連打とかが起こった。
Twitterのアカウントページを表示すると、アイコン、フォロー数、被フォロー数が固まって表示される。
被フォロー数はそのままそのアカウントの外部評価と見なされる。ネットで活動している個人を一種の出力器としてみるなら、フォロー数に対して被フォロー数が多い、つまりインプットが少なくてアウトプットが大きいものは出力器としての価値が高いということになる。逆の場合だと、あっ…(察し)みたいな。
例えば、道を歩いている個人の学力や人脈や年収などが瞬時に分かる世界というのはそれなりに地獄だと思うんだけど、ネットだとそれに近い環境が実現できる。スコアが常時表示されているとスコアを上げて自分を高く見せようという意志が働くのでもちろんインチキも発達する。ネタの剽窃、ネタのリサイクル、ネタの捏造。
スコアが高い=価値が高いという誤認はいままでも発生していたけど、それがリアルタイムでしかも毎日違う花火が上がっているような状況だと深刻さが増す。本来はその場限りの価値しかないツッコミ、揚げ足取り、裏張りが横行して、「そういう態度こそが正しい」という誤った概念が広まる。それはスコアを稼ぐ安易な方法でしかないのに。
あるコンテンツに対してコメントが出せるとき、コメント自体を評価できるようにすると大喜利化が進む。
コメント自体を評価する人は本当の意味で「観客」なので、評価軸が刹那的・享楽的・無責任なのだ。笑点でお題に対して噺家がコメントを出して観客から笑いが起きる、それと同じ構図が生まれてしまう。

で最後には、映画イノセントで描かれていたような「自分の言葉で話さない」状態になっていく。
登場人物達は電脳に頼り、普段の会話からして古典を引用しまくる。自分の言葉を使うかわりに、権威がある(つまり正しい)言葉で自分の意見を代弁させる。
「古くから知られた言葉なので間違いはなくしかも引用してるだけなので俺に責任はないし俺の本心でもない」。これがネット社会のリスク管理が生んだコミュニケーションの行き着く先かと驚いたものだ。監督にはそういう意図は全然なかったらしいけど。

リツイートやFavは楽でいい。自分の言葉で表現するよりずっと楽だしリスクも少ないから。

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ああ、沖縄に行きたい…

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