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ストIIによるパラダイムシフトとシューティングの没落について

今日、むちむちポークをやってきた。んで少し考えた。

ハードウェアの性能がそれほど高くなかった頃、アーケードの花形はシューティングゲームだった。宇宙で、地球で、戦闘機を駆って戦いを繰り広げる。
1988年のゲーメスト大賞はグラディウスIIだった。グラフィック、ゲームバランス、音楽、すべてが高いレベルにあり、プレイヤーの心をがっしりと掴んでいた。
1989年、テトリスの社会的大ヒットの裏で少しずつ事態が進行していた。この年、ゲーメスト誌上でセガの開発者はこんなことを言っていた。
「ワルキューレの伝説もエリア88も、画面にキャラクターの顔がアップで表示されてますよね。そこがポイントなんじゃないかと思うんです」
そして…1990年のファイナルファイトを経て、ついに1991年、ストIIが登場する。

リズミカルに呼吸し、滑らかな動作で技を繰り出し、強烈な個性を発散する格闘家たち。その存在感は今までのゲームと一線を画していた。
ストIIは「一個の人間を存在させられる可能性」を提示し、結果的にアーケードゲームのフォーカスが「架空世界での闘争」から「人間そのもの」に移るというパラダイムシフトが起きた。
思えば、この時にシューティングゲームの没落が約束されたのだろう。
シェイクスピアから現代に至るまで、人々がもっとも興味をもつのは「人間」だ。そして人間を表現するという点では、シューティングゲームは極めて分が悪い。
人間を自機に仕立ててカットインデモを入れたり人物設定を付加したとしても、それは戦闘の中で埋没してしまう。
人間それ自体が生き生きと舞う対戦格闘では、カットインデモや人物設定がたとえ無かったとしても、プレイするだけでキャラクターの個性が発散されるのだ。

劇や小説や映画がそうであるように、表現の幅が広がり(ハードウェアの向上)、かつ愛好者の数が増えれば(ゲーム人口の拡大)、より普遍的なテーマつまり「人間」にフォーカスが行き着く。こうしてみると、シューティングゲームの没落は必然の流れだったのかもしれない。

# 格闘ゲームの暴力的な集金能力についてはあえて捨て置いた。
# 数年後、バーチャファイターによる第2のパラダイムシフトが起きるんだけど、それは次の機会に。

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ああ、沖縄に行きたい…

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