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最近の社会情勢について(大げさ)

特定秘密保護法案について安倍首相がいつのように美辞麗句で言い訳していた。
彼のトークは任天堂の岩田社長に似ている。聞き手に良い印象を持たせるために計算された言葉遣いをするので聞いていて不安になる。具体性に乏しく、話をごまかされているという疑惑が消えない。
三原じゅん子が力強く演説した映像を見てみたけど、しっかりやってるだのちゃんとやってるだのと何の根拠もないアピールを繰り返していた。ハマーン様に似ているらしいがそんなことマジでどうでもいい。
受けた指摘に対して「お前ら言えた立場か」と返すのは夕飯をおいしくする効果はあっても物事を進展させる効果はない。ブーメランだと指摘する快感は麻薬と同じく忌み嫌うべきものであり快楽に溺れてはいけない。

特定秘密保護法案が信用できないのは、運用を人間が担う箇所が多すぎるから。
「合理的思考」「現実的思考」「常識的思考」と唄うと賢く見えはするけど、最善の選択というものは言い換えれば場当たり的な選択のことであるし、状況をついつい肯定してしまう副作用もある。
問題は、人の視界は思った以上に狭いということ。足下しか見えないような夜の道をとりあえず転ばないように歩いた結果、崖っぷちに直面してしまうなんてことはよくある。
その場その場で「合理的」「現実的」と唱えつつ選択していったけど、引いた視点から見ると破滅への道まっしぐら! ということが簡単に起こる。

未来を正確に予測できる人間はいないので、破滅を回避するには
・過去の事例を学んで、自分が歩いている場所を掴めるようにする
・人間の判断とは独立した縛りを設けて、崖っぷちの方に行かせないようにする
という方法をとるしかない。
特定秘密保護法案にしろ憲法9条改訂にしろ、70年前の治安維持法と似た状況であること、憲法が政治家を縛る機能を持つことを考えると、どちらも危険だと言える。
今の人間が昔の人間より分別があるので大丈夫? 昔とは状況が違う? 当時の人も同じこと思ってたんじゃないかな。人間の理性などという不確かなものに頼ってはいけない。

大きな理念を無視して法律を場当たり的に作ったり無くしたりするというのは、軽量化だ!と叫んで自動車からABSやエアバックを無くしていく行為と変わらないし、ドライバーが「気を付けて運転しま〜す」というのを真に受けて安全装置の除去を認めるのはバカのすることだ。
崖っぷちに突き進んでしまうのを止めるには、視界の狭い場当たり的判断ではなく、視界の広い大きな理念をもって行なうしかない。

(ジャンク)中国の軍事誌がガルパンを批判したらしいので

注意:この記事はジャンクです。
中国の軍事紙が『ガールズ&パンツァー』を大批判! 「美少女を隠れ蓑にした悪意ある軍国主義」 | ロケットニュース24 を読んで。
機械翻訳に作業していただきました。私は特に何もしてません。あえて校正せずに載せてみます。
感想としては、洗車シーンについて「水に濡れてるjk最高!(意訳)」などと書いてあるのが良かったです。



近頃、1部の日本のアニメーションはネットを風靡します。これは少女を主役のアニメーションにして、広大な軍事の愛好者の絶大な支持を受けました!この中は一体どんな神秘がありますか?

《少女と軍事用の車両》は1部の描写の少女達が“車道に戦う”を学んでそして全国試合のストーリに参加するのです。アニメーションの陳述の世界の中で、戦車道は一つがサッカー、野球の試合する運動に類似するのです。各チームの使ったのは皆第二次世界戦争の軍事用の車両で、アニメオタクを引きつけるだけではなくて、また男性の主とする軍の謎を引きつけて、軍の謎はこの映画の“第二次世界戦争の戦車の教育板を称することができる”を褒めます。しかし、行為の1つの中国軍の謎、とても気分が悪いことを見ると感じます。以前の日本人中で隠れた多くのやみの商品!

それぞれの試合参加学院はすべて空母の上で位置して、日本の空母は第二次世界戦争の日本の空母の複製品です。

第二次世界戦争は一体誰が勝ちましたか?
《少女と軍事用の車両》の中の生活のシーンがすべてで近代的な日本の縮図で、しかし“車道に戦う”の試合中に入りますと、すべて第二次世界戦争の風格になりました。アニメーションの中で出現の軍事用の車両は主に江蘇、米、英、ドイツ、イタリア、日の6つの国家の装備で、板の中でまたそれぞれの参加チームのために異なる国別のイメージと風格を設計しました:聖葛羅莉アンナ学院は典型的なイングランドの特色で、桑徳斯学院は米国の西部の範児を代表して、真理学院はソ連の文化の息を明らかに示して、黒森峰学院の腹の中はすべてきわめて日耳曼民族の精神を出して、主役のあった大洗学院は十分な日本の味があります!これらの学院はまるで第二次世界戦争が戦国の複製品に参加するのです。

桑徳斯学院のShermanの戦車。
ここはみんながすべて分かったことを見て、これはアニメーションを利用して第二次世界戦争を再演するのです。軍の謎達はすべて知っていて、第二次世界戦争の中の日本、軍事用の車両強国の中“小さいちび”です。真実な歴史の中で、強大な米ソの戦車に壊滅して軍の形がなくなることを打たれます。どのように昔の“皇軍”の軍事用の車両に強大な相手を打ち負かすことができますか?きわめて困難な任務はアニメーション中大洗学院の女の子達に手渡します。

キャプション:桑徳斯学院のSherman装甲騎兵団。

第1手は“雑軍”をかき集めるので、大洗学院の運転する軍事用の車両は意外にも1から始めて日本の商品ではありません:M3の中型の戦車は米国の商品、3番のF型が大砲に突撃するのがドイツがつくるのなので、戦力の最も強大な4番のD型の戦車は同様にドイツがつくるので、PZ.38(t)の戦車はチェコがつくるので、本当にの日本の軍事用の車両が残ってすぐ8,9式だけありました。この装備が当時のの“皇軍”を比べるのはすでに非常に強大になりました!その上後の試合の中で、大洗学院はずっと雑軍の風格を維持して、比べるのはその年頑固な人の有名な“皇軍”で本当にずいぶん利口になった!

キャプション:真理学院T-34戦車の群。

当然で、実力がかけ離れてまだ事実で、これらの無名の商標の車の大洗学院が開いていて聖葛羅莉アンナ学院の親善試合と中でチャーチルの戦車と瑪の蔕になんじがⅡ戦車に達されてさんざんなことを打ちます!この時に第2が招いたことを使用しなければなりません:面の皮を厚くしてとぼけます!見てくださいを信じないで、同様な車が開いていて、大洗学院は意外にも打ち勝ってすべてアメリカ製のShermanの戦車の桑徳斯学院を装備することができます!真理学院との対抗の中で、ソ連T-34、スターリン、KV-の2戦車の構成の装甲大きな流れに直面して、これらの薄い皮の軍事用の車両は意外にもさらに死角のを強いて状況で逆らうことを打ったにで襲って、最後はまた勝利を得ました!私達のこれらの誠実な軍を迷うどのように言わせますか?再びでたらめに編んでも基本的な常識を軽視することができないでしょうか?本当にの歴史の中で、日本の薄い皮の戦車が承諾する敷居の戦役の中で表現するのは珍しくて悪くて、甚だしきに至っては直接蘇軍の戦車に気楽に部品にぶつかられます!アニメーションの中“執着する”ただ1つの説明、第二次世界戦争について、日本の心の中はまだ服しません!

軍国主義の思想が日本にしみ込むのはアニメ・漫画の産業の大国で、多くのアニメ・漫画の製品は典型的な民族の特徴があるだけではなくて、また多くの“軍事の原素”を溶け込みました――軍事の知識に看板になることを借りて、陰で軍国主義の思想の浸透を行います。

キャプション:真理学院IS-2の大型の戦車。

日本のこの民族についてこのような定説があってことがある:もしあなたはそれに対して気前よく互いに待つならば、あれはそれは一を得て二を望みます;もしあなたは容赦なくそれを教えさとすならば、それはすぐにあなたを一番上の人にします。第二次世界戦争の時期に、ドイツの実力の上で日本を恥じてから及ばなくならせて、米国はまたそれを完膚なきまでにやられることに打って、そこでこの2つの国家の軍事用の車両はなって日本の大洗学院の使った主力の軍事用の車両を代表します。このようにだけではない、メンバー達はまた独特なイメージで強者のあこがれに対して表して、たとえば3番の突撃の大砲の車掌は自分で隆美のなんじのイメージに着飾ったを。明らかに、日本は依然として青少年に強大な武力に対する信念を注ぎ込んでいます

試合のシーンは軍隊将棋で展示を演繹して推測して、列車に注意するのは第二次世界戦争のドイツのDoraの大砲の車です。
多くの軍は友達に迷って日本自衛隊の徴兵する広告の時にこの映画を皮肉って、1つの軍の友達の曾説、このアニメーションはきっと軍事の家の男性設定を引きつけることために。日本の青少年の教育は同様に多い問題に直面して、あれらのだらけて開けていない男性の青少年の内心の急進的な因子を呼び覚まして、日本のアニメ・漫画の積載する一つの重要な使命です。そのため、いくつか剛性の思想を広く宣伝してなって必然的になりました。戦車道の紹介する大会の上で、大いに学院学生会を洗って大いに特に戦車道の高尚で威力がある1面を言うと言って、場面は戦争が動員するようです。板の中に1つのスポットライトがまだあって、戦車道教官です――陸上自衛隊の現役の女性の将校・士官。これが日本の最新の10の式の戦車の出現の美人が開いているのはまるで日本自衛隊のために兵隊を募集してくるので、彼女と女の子達のストーリはまるで男性達に宣伝・説明します:女はすべてこのように強大になることができて、あなた達の男はまさか技量の民族の国防は奮起しませんか?

大洗学院は最後に1台のポルシェのトラ-P戦車を探し当てて、この戦車はトラ式の戦車に参与して型を選んでことがある。
戦争を美化する芸術の誇張は最も人の反感を譲ったので、ニンフを主役にして、整部の映画にびしょぬれになられたのはロマンチックで暖かいです。女の子達が軍事用の車両の内でをも閨房に配置するのが普通で、訓練の中で絶えず成長して、試合中で互いに学習に対抗して、挫折の中で互いに励まし合って、これらの原因の構成した劇の筋は見たところそんなにうれしくてそんなにすばらしい。惜しくて、このアニメーションの最後に原状に復したのはひどく痛ましい第二次世界戦争の戦場です:烈火は黒いたばこと戦場を覆って、侵略者の軍事用の車両は平和な郷里をひき砕いたことがあって、田野の中で人々にこだまして絶望して泣き叫びます……これらの悪夢の同じ記憶とアニメーションはなんと相容れないのです!

黒森峰学院の学院の徽章(全くドイツの鉄の十字を剽窃する)
実は、表面の上から見て、《少女と軍事用の車両》の包装はたいへん巧みで、それは観衆に基本的で完全な第二次世界戦争の軍事用の車両の発展史を知らせる、しかも非常の専門は軍事用の車両の多い性能を紹介しました。戦車道の訓練して試合する一環の中で、観衆は軍事用の車両の保護、車が、戦場の偵察と通信、大砲の操作などの多い細部を運転することを見ることができて、異なる戦車の戦って行進する中の美点は欠点とも重点的に描写します。このアニメーションはほとんど本当にの軍事用の車両の教育板として見にくることができましたとこの角度の上から言います。板の中でまた多い第一の軍歌を放送して雰囲気を引き立たせにきて、最大のスポットライトは真理学院に属して、アニメーションの中で1群の少女はか弱い音で《カチューシャ》が戦車の前進するシーンが開いていて1時にネット上で強烈な絶大な支持を受けていることを歌っています。しかし、この日本のアニメ・漫画のは本当に核心は実は隠れていたので、中国軍の謎にとって、この映画を見る時、いつも批判の目があるべきです。

キャプション:森峰学院のトラ式の大型の戦車

キャプション:黒森峰学院の“チーター”の戦車は車を攻撃し殲滅します

キャプション:黒森峰学院の恐怖の戦車はチームを殺戮します

キャプション:“黒い騎士の物語”の模型は絵を画いて、これに類する素材はアニメーションの中でとても多いです。

キャプション:軍隊将棋で展示を演繹して推測して、列車に注意するのは第二次世界戦争のドイツのDoraの大砲の車です。

キャプション:少女達はShermanの戦車の群を見送ります。

キャプション:真理学院の艦船は庫茲涅佐夫の空母を原型にしました。

キャプション:日本の特色の屏風が絵を画くのさえ戦車になりました!

恩赦制の人生に希望はない

こんにちは、キモオタです。
浜野『なんとかはキリストを超えた』:あきれた。 を読んでて、本題とは関係ないことを少し考えた。

世界が豊かで優しいからキモオタでいられるというのであれば、そこに本当の希望はない。
マンガHUNTER×HUNTERで、敵が主人公の命をお情けで救うシーンがある。「君は僕のおかげで生きられるんだよ、それを忘れるな」という屈辱的なセリフを残す。
世界というのは実際には社会や常識や規範といったもの、あるいはそれから外れていない「まともな人間」を言い換えているだけで、それらが「君たちは不快で救いがたくて排除したいけどまあ居てもいいよ」という "優しさ" をもってしてはじめてオタクが生きられるのなら、そこに精神的自由はない。

生きられるだけで希望があると思え。お前たちは我々のおかげで生きることができる。オタクに存在価値無し。ええまったく反論の余地もない。生きててすいませんという言葉を唱えるだけで精一杯です。
便利な概念なので "オタク" の所をいろんな言葉に変えてみるといい。生活保護受給者とか、公務員とか、年金受給者とかに。夕飯が少し美味しくなるから。

ポップカルチャーの語り限界は25年説

科学的根拠も統計的根拠もまったくない話。
どっかで、評価の高い映画トップ500というページを見たんだけど、その上位を眺めていると80年代の映画がほとんど入っていないことに気付いた。
上位は90年代以降の映画が占めていて、ちらほらと不朽の名作(七人の侍とか)が顔を出すという感じ。
この順位は、ネット投票で作ったデータベースから抽出した結果らしい。だから投票した人が若い人中心なのかも…と考えて、そこで思いついた。

私の印象で言うと、映画館にはオッサンが来ていない。本屋にもいない。ゲーセンにもいない。CD屋にもいない。
80年代の映画が印象に残っているのは、その時期をティーンエイジャーとして過ごした人たちだろう。逆算すると40代以下。
そして40すぎると、こういうポップカルチャーに触れなくなるし話もしなくなる。境遇も変化するし身体や精神の衰えもある。「もうそんなことに時間費やしてる年齢じゃない」と。
逆算すると、ポップカルチャーが語られるその限界は25年程度ということ。あとはタイムレスつまり不朽の名作だけが口端に登るようになる。

知らない人にとってみれば25年前なんて完全に「むかし」なわけで、話の内容がどうであれ特に誰も不幸にはならず、好きなようにすればいいと思う。私だって生まれる前の話は伝聞でしか知らないし。

そして人は物語を作り出す

昨日書いた、IBM元開発者「チェス王者にスパコンが勝てたのは、バグのおかげ」 の話の続き。
この記事のオリジナルはNate Silver’s ‘The Signal and the Noise’で、そこからWired.com → Wired.jp と流れていき、途中で文意がぼやけていき、センセーショナルな印象は逆に強まっていった。
そして人は物語を作る。それは欠けたピースを埋めようとするものかもしれないし、鏡に映った自分の意図を語るものかもしれない。

case1. ウィッカーマン
原文を読む限り、バグが原因で処理不能になってしまい「完全にランダムな手を打つ」という"最終安全装置"が働いた、ということらしい。
ランダム処理を行ったこと自体がバグであるとは誰も言っていない。むしろランダム処理は安全装置だったとはっきり言っている。
でもこの記事に「技術者の意図をバグだと見なすヤカラ」を幻視した人がいた。そのヤカラに燃やされているのはたぶんウィッカーマンだ。

case2. 神の一手
このバグは第1試合の終盤、しかもディープブルーが負けかかっているときに起きた。この手そのものが勝利の一手になったわけではない。
もし仮に、勝利を決めた一手が完全ランダムで繰り出されたものだったらそれはセンセーショナルな話題だ。実際はそうではなかったけど。
でもそうだったら素敵だ。いやきっとそうだったんだよ。勝利を決めた一手はランダムだった。いや、勝利を決めた一手はバグだった! like a rollingstone.

case3. 知性はバグから生じた
バグそれ自身は、ランダム処理を誘発したにすぎない。ならば知性はランダム=偶然から生じるのだろうか。
偶然の中に知性や価値や意図を見いだすのは、それを観察している人間だ。偶然それ自体に知性はない。犬に仏性ありや?
だから「偶然うまくいった!」と思ったとき、観察者は目の前の事象を鏡にして "自分自身の知性" を見ているにすぎない。
ディープブルーは、ランダムモードで放った無作為な一手を自分自身で評価しただろうか?
内蔵されたアルゴリズムを使うよりサイコロを振った方が良い結果が出る場合があると "ディープブルー自身が" 認識して自己を改変したなら、それは知性の始まりかもしれない。「自分の判断はサイコロに劣る」という "自己言及" が行われているからだ。
ただ実際には、プログラマーがランダム処理を組み込むのが関の山だろう。「私の組んだアルゴリズムはランダム処理に劣る場合がある」という自己言及は、ディープブルーが行うのではなくプログラマーが行っている。
知性の付与はバグによるものではなく、バグを見た人間が自己言及することにより成されるもの。
既に知性を獲得しているものが自己言及するのは、コーラを飲んだらゲップが出るぐらいような当たり前の話でしかない。

人は無作為なものに意図を求めてしまう

IBM元開発者「チェス王者にスパコンが勝てたのは、バグのおかげ」 より。

この記事の原文の原文をインチキ翻訳してみる。

ディープブルーにはほんのいくつかバグがあった。インタビューの最後にキャンプベルは、1997年のカスパロフとの第一試合終盤に起きた事件について、いたずらっぽく話してくれた。
「試合中にバグが起こり、そのせいでカスパロフはディープブルーの能力を誤解したんでしょう。その動きがバグだという考えに至ることはありませんでした」
そのバグはカスパロフとの第一試合、44手目に起きた;プレイ不能になり、プログラムは最後の安全策「完全にランダムな手を指す」状態に落ちてしまっていた。
このバグはささいなものであり、すでに負けかかっている試合後半で生じた。開発チームは次の日にそれを修復した。
「そのバグは以前に一度、1997年初頭のテストプレイで目にしたもので、修正したと思っていたものでした。不幸にも私たちがミスしていた事例のひとつでした」
実際には、そのバグはディープブルーにとって決して不幸ではなかった。

…中略…

カスパロフは(第一試合の44手目、何の根拠も無い)直感に反した動きが、特別な知性のサインだと考えていた。
それが単なるバグだと考えることはなかったのである。


ビデオゲームでも、CPUの判断にランダムを軽く混ぜると強さが一気に上がったりする。プレイヤーがCPUのルーチンを過大評価してしまいスムーズにプレイできなくなるというわけ。

言葉が絞り込まれていない

これはSFか? という話をすると何らかのネガティブな反応が起こりがちですが。
「そんなのSFじゃない!」という勢力を私自身はほとんど見たことがなく、逆に「それもSFだよ!」という勢力はしょっちゅう見ます。
SFの定義はsci-fi、つまり「科学的な想像」ですが、この科学的というのがSFだと非常に幅広いです。スペースオペラ、タイムトラベル、平行世界、宇宙生物、ハイテク。
また、結局のところは「想像」であるため、ファンタジーとSFは近しい関係にあります。異世界、超心理学、幻想文学… 手元にある30年以上前の資料ですら「SFとファンタジーは区別が難しくなっている」と書かれています。
言葉の意味する範囲が広すぎるのなら、細分化します。例えば「わたし音楽が好きです」 → 「わたしジャズが好きです」 → 「わたしスウィングジャズが好きです」のように、言いたいことを絞りこんでいけばいい。
ただ単に絞り込みがなされていないところに「SFを分かってないですね」と宣うファンがいたとしたら、それは確かにうっとうしい。

悪の組織の作り方

悪の組織は、悪いことをします。
だから自己の行為を正当化するために、まずは「思想」が必要です。思想から目的が生まれ、目的を正当化するために思想が使われる。「思想」を植え付ければその人を縛ることができます。
まず洗脳。具体的には価値観を改造する。社会は間違っていて俺達は正しいと吹き込んだり。
あるいは非合理な縛り。具体的には血縁、仲間、同士、伝統といったもの。儀式をしたり共同生活させたり共同作業させたりして無形かつ強力な繋がりを作ったり。
なので、悪の組織のリーダーというのは、組織の行動の源泉となる「思想」の体現者になる必要があります。
俺についてこいではなく、「〇〇という考えに賛同するなら俺についてこい」「俺に従うことが思想に従うことだ」です。
つまり構成員がリーダーに殉じるのではなく「思想」に殉じる形にしないといけない。ただしリーダーは思想の体現者なので、結果的にはリーダーに殉じることになりますが。
「思想」といっても様々です。テロ組織は政治的な思想を語るでしょうし、ヤクザは行き場がないとか必要悪だとか義兄弟だからとかいろいろ言います。
構成員に命の危険がある任務をやらせたり、人権もクソもない扱いをしたり。そんな状態を維持しつづけるため、悪の組織のリーダーは思想を語り、構成員が思想に殉ずるような教育を行うのです。

ダイソー社長は「悲観的なリアリスト」

「潰れる恐怖から店をオシャレにしました」 ザ・ダイソー矢野社長の“進化”:日経ビジネスオンライン を読んで。

これはネガティブではなく、悲観的なリアリストだ。
この社長はほとんど事実しか話していない。そこがまず恐ろしい。
放っておけば会社が潰れるのはそりゃそうだし、ライバル企業に負けていたのもおそらく本当のことだろう。
そういう思想を持つリアリストは、他人あるいは部下に対して常に最適化を要求する。あらゆる物事を危機的に見る人は、あらゆる準備をしようとするからだ。
「客のことが分からない」という台詞に戦慄しなければいけない。分からないものに対処するには、ありとあらゆることを、永遠に、自分の手で改善していくしかないからだ。そういうスパルタンな思想を持っているということになる。
また、リアリストは現実を神聖視するため、現実の威を借りて話をする。「現実がこうなんだからお前はそれに対処するしかない」と述べる。逃げや甘えを許さない。

厳しい現実を背景にして改善を要求し続けるトップ。これは、精神論を振りかざして無茶な労働を要求するトップよりもある意味恐ろしい。
なぜなら、精神論は否定できるが現実は否定できないから。そこに逃げ道はないのだ。
その恐ろしさがピンと来ない人は「スターシップトゥルーパーズ」を観るといい。
この映画で、隊長は部下にこう叫ぶ。「ビビるな、命をくれてやれ!」と。あれが「悲観的なリアリスト」の分かりやすい形です。そういう人間の部下になりたいですか?
私は楽観的なロマンティストなので無理です。

おしい!広島県 について

広島県が「おしい!広島県」というPRを始めました。

負けかかっている側の自虐PRは負けを確定させるのでやってはいけない。
大事なことなので強調しておきました。
※ なにをもって負けとするかという話ですけど、地方はどこも負けかかってるようなもんです今のところ

とりあえず前例として、ソニーのβ規格とセガのドリームキャストを挙げておきます。
βがVHSに押され始めた頃、ソニーは「βは負けたのか?」(うろ覚え)というコピーで広告を出しました。
βはむしろライバルより優れてるというのが広告の趣旨だったけど、コピーの印象が強すぎて逆に「βって負けてたのね」という印象を与えてしまいました。そしてそのままVHSに敗れました。
そしてドリームキャスト。湯川専務そして「セガなんてダッセーよな」「セガは倒れたままなのか」というあれです。
金を湯水のように使ったプロモで話題性は高く初速は良かったけど、あとはまったく続きませんでした。
人は勝っているハードを買うのであり、ハードを勝たせようとして買うのではありません。
セガは秋元康に騙されていました。

自虐PRというのは、広告代理店がじり貧の客から金を巻き上げるための型ですよ。話題性だけを考えていて持続性がない。
タレントを使いまくった演劇風のCMはゴミそのもの。地方PRなんだからリアル地方人やリアル地方映像を見せないと意味がない。「広島県に来ればCMみたいなものが観られる・体験できる」という形でないと。
派手だけど情報が薄い公式サイトはクズそのもの。必要なのは観光資源の的確な情報と検索性だよ。交通機関、場所、見所、おすすめ観光ルート。

いいかげん、広告代理店が「話題性」だけを考えていることに気付かないと。PR=話題性だと結論づけているような企画はカスそのものです。
広島県に "正しく" 興味を持ってもらうには正攻法しかなく、自虐PRなどの邪道は金をドブに捨てるだけなのを見抜かないといけない。広島県の広報担当はそれを見抜けなかったらしい。
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Author:waverider

ああ、沖縄に行きたい…

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