スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

言葉「偽物が精巧になればなるほど、本物との距離は広がっていく」

これはレーシングライダーの梨本圭による言葉。記憶をたよりに書いたので単語などは正しくないだろう。
物事の本質をついているような気もするが、よく考えるとそうでないような気もする、不思議な言葉。
本物の代替となるならそれは偽物とはいえない?
それとも、偽物はどこまでいっても偽物?
なんて事を考えたり。

言葉:「心せよ亡霊を装いて戯れなば、亡霊となるべし」

寺山修司「ポケットに名言を」の中で紹介されている言葉。カバラ戒律からの引用であると説明されている。
覚めたふりして戯れていると、いつの間にか熱を帯びる。自分は違うと思っていると、泥沼に片足を突っ込んでいることに気付かない。"酔いつつ醒め、醒めつつ酔う"つもりでも、端から見れば亡霊を装いし戯れ、なんてことも。

# この言葉を検索するとそこそこヒットするが、寺山修司と併せて紹介されている例は少ないようだ。あと、カバラに戒律なんてあるんだろうか?

言葉:「音楽は、それが表現している対象そのもの」

1993年に発売された「聖剣伝説2 オリジナルサウンドバージョン」がiTunes Storeで人気を維持している。
当時のCDには、作曲者である菊田裕樹氏のコメントが添えられていた。情熱あふれる言葉のすべてを、14年の時を超えて。

 音楽はメッセージではない。
 例えばそれは僕の心の中に湧き起こった様々な感情や衝動を、僕自身のものとして表現するひとつの手段ではあるのだけれども、それは決して、単なる記号であるべきではないと、僕は考える。
 一般的に「音楽」と呼ばれる、ある音の連なりが、そのパターンに対応する特定の感情を引き起こすというのは事実ではあるし、ドラマに於ける劇的演出などのように、極端に突出した心理的状況を、且つ迅速に構築せねばならない場合には、そういった「音楽」が本質的に内包している感情装置としてのメカニズムが、極めて有効に働く場合も多いということは、踏まえたうえで。
 それでもやはり、音楽は、ある特定の事象や情動に対応するというだけの「記号」に堕してしまってはならないと、僕は言いたい。音楽はメッセージであってはいけない。音楽は、ある事柄や状態についての情報(メッセージ)を、伝達するためだけの道具ではないはずだ。
 極論を承知で敢えて言うならば、音楽は僕にとって、それが表現している「対象そのもの」である。自分のなかに内在する様々な要素、あるいは思考であり、あるいは感情であり、あるいは意識のレベルにさえ上がってこないような何か、そういった「自分自身を構成するパーツ達」を掻き集め、濃縮し、より純度の高いものに精錬し、最終的に音楽的創作という形に結晶させることこそが、音という、言葉の壁を越えて人の心に直截に働きかける表現手段を手中にした者の、目指すべきところではないかと僕は思う。
 僕は音楽を創ることによって、君達に何かを言いたいのではない。君たちと美を、そして人間の心の中にある何か大切なものを共有したいのだ。僕が喜びにあふれた曲を創るとき、その喜びは僕にとって本物でありたい。僕が切ない曲を創るとき、その悲しみは真に僕の心を切り裂いているものであるべきだ。なぜなら、率直であること、嘘偽りのないことは、すべてのコミュニケーションの基本にある宝物だと、僕は信じているからだ。
 今回の、聖剣伝説2というプロジェクトを手掛けるに当たって、僕が最初にしなければならなかったことは、自分の、ゲームミュージックというものに対するスタンスを明確にすることだった。音楽によって「僕自身」を表現することと「聖剣伝説2というゲーム」を表現することは、幾分重なり合う部分はあるものの、基本的には別である。その異なる二つのベクトルの間を取り結び、全体として一つのコンセプトで貫くことによって、単なるポップミュージックでも、単なるゲームミュージックでもない「何か」を創造する。それが、この仕事における、僕の出発点だったのだ。確かに、スーパーファミコンの持つ、ソフト的ハード的な制約を前にしたときに、そういう方法を選ぶことは、非常にリスキーであったと言わざるを得ないし、実際に、作業には様々な困難が付きまとった。あるいは本当に無謀な試みだったのかもしれないが、そういう類の挑戦的創作態度も、僕の身上なのだと心得ている。今はただ、その努力が無駄に終わらなかったことを感謝するのみだ。
 最後に、晴れて出版の運びとなったこの作品を、今まで僕を支えてくれたすべての人達に捧げたい。心より。感謝をこめて。
きくたひろき

言葉:「共通認識からこぼれてしまったものの塊、それが心」

TVをつけるとちょうど「爆笑問題のニッポンの教養」をやっていて、哲学者の野矢さんという方が「心とは何か」という話をしていた。録画していなかったので細部が不鮮明だけど、確かこんな内容だった。

「他の人と認識が一致しなかった部分、納得できないんだけど取りあえず保留…そういう、共通認識からこぼれてしまったものの塊、それが心なんだと僕は思う」

前回?の電気自動車も面白かったし、次回「人間は失敗作だ」も面白そう。

言葉:「二流のヌーベルヴァーグを選択したい」

1992年にリリースされたZUNTATAのアルバム「ヌーベルヴァーグ」。そのライナーノートでは、VGMのあり方について語られている。
語られた言葉は、VGMだけじゃなく、すべてのポップカルチャーに通じるものだった。そのすべてをここに…

『クラシカルなものとして定着している多くの芸術は、その誕生時には、いびつな捉え方をされていた。「バロック」や「歌舞伎」という聞き慣れた言葉ですら、その意味は"異端"を示すものだった。
だからといって(ある意味で異端の)、VGMもいずれはポピュラーな音楽として認知されるということを期待しているわけではない。いや、むしろそうはなりたくない。60年代、トリュフォーやゴダールといった作家の映像を初めて見たときの戸惑いや驚きを、SFXや様々な映像テクニックに慣れ親しんでいる現代人にそのまま求めるのは無理だし、ジュール・ベルヌの「月世界旅行」や「海底二万哩」を今の子供たちに読ませても、当時程のときめきを感じさせることは不可能だろう。
その意味では、"ヌーベルヴァーグ"とは賞味期限つきの禁断のお菓子なのだ。それを、時代を超えて食したいと思うのならば『定型』という保存料を加えなければならない。そして、その瞬間に「ヌーベルヴァーグ」という呼称は次なるものへと逃げてゆくのである。
時代は変わっても人間の本質は変わらない、なんて誰が言ったのだろう?
誰とも違わない本質なんてつまらない。定型化して解釈付きの芸術となるよりも、二流のヌーベルヴァーグを選択したいのだ。

「泣きたいものは泣き、笑いたい者は笑え。」(ジャック・ドゥミ)』



言葉:「写真はもともと暴力的である」

観光地でスナップ写真を撮りまくり、自販機で買ったコーヒーを飲みつつ休憩する。どこかで聞いた言葉が脳裏をよぎる。「写真はもともと暴力的である」

他者を一方的に観察しわずかな断片のみで対象を評価するという行為は暴力性を孕む。それが己の欲望を満たすためだとしたらなおさら。
人はこの暴力性を漠然と自覚している。見知らぬ人にレンズを向けられると不快に感じるし、見知らぬ人にレンズを向けるのを避ける。
大勢の人が歩く観光地の真ん中で被写体を探してカメラを振る時、暴力性を孕む視線を同時に振りまいているという意識を頭の片隅に留めるようにしていきたい。

ネットで営まれる「一方的な観察行為」もまた、暴力的だといえないだろうか?

言葉:「Sharing is important - we're all communication junkies」

folklore.org:Creative Thinkより。
「共有は大切 - 我々は皆、コミュニケーション中毒者。」
1982年、アンディ・ハーツフェルドは「Creative Think」なるセミナーに参加し、その中で行われたアラン・ケイの講演に興奮した。会社に戻った彼は講演のメモを1ページに要約してMacintosh開発チームの皆に配ったという。その中の一節。
素晴らしいものは誰かと共有したい。誰かにこの感動を伝えたい。ともに喜びを分かち合いたい…かくして、今日も樹の枝は広がっていく。

言葉:「機械(コンピュータ)を信用できない - それは、人間を信用できないから」

ZUNTATAの小倉久佳氏が、1500名盤シリーズ「ニンジャウォーリアーズ」サントラにて語った言葉。
『僕は今でも「機械(コンピュータ)を信用できない」でいる。ライブではシンセサイザーを十数台も使用するが、やはりどこかで不安が残る。だから何度もチェックする。
なぜだろうーー。きっと「人間を信用できない」からだろうと思う。だから、それらに作られた機械なんて信用できるわけがない。』

機械、ハードウェア、ソフトウェア、システム…忘れるなかれ、すべて人間が作りしもの。

言葉:「映像は凶器!」

#「言葉たち」というカテゴリを作って、記憶に残っている言葉を書いていくことにした。

2001年のContinue誌による仙波隆綱氏インタビューより。

『タイトーというのは「スペースインベーダー」で巨大な利益をボーンと上げた会社ですから。とにかく「ゲームとは何か?」という事を突き詰めずにいた。ゲームを知っている人間はいても解っている人間は少ない。それは疑問を持たないから。与える立場の人間はそれなりに考えねばなりません。人間は環境に育てられます。環境とは何を見て育ったかというに他なりません。ゲームはTVを使いストーリーを語る以上、ゲームだけではすまないのです。映像は凶器!その怖さも知らない。他の多くのメーカーにもいえる事ですが......。』

言葉:「光速ってやつがムカつくね」

ネットを戦場に変えた偉大なFPS、「Doom」。
Doomのネット対戦は、ゲームライター渋谷洋一氏によると「ハードウェア、回線の帯域、そして技量、すべてを向上させないとダメだ。これはゲームテクニックだけじゃない、すべてを賭けた戦いだ」。
タイトルの言葉は、WiredがDoomの開発者にインタビューしたときのもの。ネット対戦におけるタイムラグにイラッとさせられる様をこう表現していた。

#ジョン・カーマックがどうかはっきり覚えていない。2人の開発者にインタビューしていて、その片方が述べた言葉。

プロフィール

waverider

Author:waverider

ああ、沖縄に行きたい…

最近の記事
カテゴリー
最近のトラックバック
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。