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「劇場版まどかマギカ 叛逆の物語」感想:繰り返す物語

劇場版まどかマギカ 叛逆の物語を観てきました。以下ネタバレ注意〜










TV版のラストで、これはキリスト教における救済のロジックと一緒だという感想を書いたけど、劇場版はそれに対して悪魔が出現するという、またもキリスト教的な展開でした。

あらゆる事象がただそこにあるだけなら、悪魔は生まれない。
神が生じて「残酷な出来事かもしれないが摂理なので受け入れなければならない」となったとする。その理不尽を受け入れられないものが「自分を満足させるために」残酷な行為を作為的に引き起こしたとき、そこに悪あるいは悪魔と呼ばれるものが生まれる。

まどマギの成功のうちかなりの部分をあの不穏なビジュアルが占めてると思うんですが、劇場版はその魅力が炸裂してます。最初から最後まで安心して観られる場面がほとんど無い(褒め言葉)。バトル描写も凄まじい。共闘あるいは昨日の敵は今日の友みたいな、見たいもの見せましょう的な状況が連発するのも良いです。

まどマギのシナリオは以前からゲーム的だと感じていて、メリットとデメリットを明示して選択させるところとか、今回の劇場版のようにTV版での細かい部分を拾ってつなぎ合わせて新しいシナリオを織ってたりするところはアドベンチャーゲーム的なアプローチだと感じる。TV版のラストシーンやお菓子の魔女の本来のプロフィールを知っているとオオッと思うような描写もあったり。
映像作品のシナリオは人物の想いがロジックを無視しすぎて超展開になったりするんだけど、まどマギはロジックと人物感情のバランスが良くて破綻を感じないのがいい。

5人の魔法少女の願いを大別すると、純粋に自分のために願ったのはマミさんだけで、あとは「他人を救いたいと願ってるけど、実は自分が満足したいだけ」という歪んだ願い。
杏子はなんやかんやあってその歪みを自覚して、まどかは他人の対象が広すぎて概念化しちゃう。
残りはさやかとほむらだけど、この二人は「願いの内実は己の欲望」という点で一致している。
歪みを克服できなかったさやかが魔女化したのと同じく、歪みを自覚しないほむらもああなる。
一度それを経験したさやかがほむらに積極的に介入するのは、杏子がかつてそうしたのと同じ。
それで止められない所も同じ。同じ状況を繰り返しながらも結局は止めるすべがない。

終わりの瞬間に救済されるのを良しとして粛々と従うのか。
摂理に反抗して欲しかったものをキープし続けながら騙し騙し生きていくのか。
後者のやり方はまさに悪なんだけど、そちらにも強く共感してしまう。

怪獣は殴って退治する 映画「パシフィック・リム」感想

話題の映画「パシフィック・リム」観てきました。
深海から現れる怪獣(映画内でもKAIJUと表記される)に対して巨大ロボットで対抗するという、往年の特撮映画を彷彿とさせる内容なんですが、特にすごいのがその割り切り方。
まず、怪獣に対して防衛網とかがまったく無くて、遠距離からとりあえず砲撃したみたりなんてことは一切しない。巨大ロボ「イェーガー」をヘリで空輸して、あとは巨大ロボと巨大怪獣の肉弾戦。
怪獣をぶん殴って至近距離からプラズマキャノンを叩き込み、華麗な動きで怪獣を投げ飛ばしてカッターアームで切り刻みと、その「こういうやり方しかねェんだよ!」感が素晴らしいです。各イェーガーにはかっこいいペットネームが付いていてノリは格闘ゲームのそれ。
巨大ロボの操縦もパイロット二人が精神同調しつつやるんですけど、なぜそうなのかとか、誰が作ったのかというような説明は一切なし。ストーリーに深く関わる部分なんですけど説明なし。そういうもんだと思って黙って観とけという感じ。

深く考えずに(突っ込みを入れずに)虚心で見るべき映画で、そうすれば主題である「巨大ロボと巨大怪獣の肉弾戦」「人類存続をかけた、怪獣との決死の戦い」の至福にどっぷりと浸かれます。
殴る、投げ飛ばす、凶器を握ってぶん殴る、タックルでビルに叩き付ける。そして必殺兵器でフィニッシュ。それに伴う市街地の大破壊。巨大なもの同士のド派手な肉弾戦!
命がけですからパイロットに余裕なんてありません。怪獣に腕をもぎ取られたり、操縦席に怪獣の攻撃が達したときなどの恐怖や絶望もしっかり表現されてます。

大迫力の効果音や3D映像の艶っぽさも素晴らしいので、映画館で、できれば3Dで見るべきです。
頭を空っぽにして楽しめる最高の映画でした。

映画感想:サイレントヒル リベレーションと、銀魂完結篇

・サイレントヒル リベレーション 3D
ゲームのサイレントヒル3から10年。もともと映画シリーズはサイレントヒル2を映画化する目標があったんですが、結果的には1と3が映画化という不思議な巡り合わせになりました。
まず、ヘザーの吹き替えは特に問題なく鑑賞できます。(これを言わないといけない世知辛さ)
公式サイトで予告編を観た時は色が鮮やかすぎる印象があったけど、3Dで観ると彩度が落ちてちょうどいい感じでした。冒頭の灰が降るシーンが本当に劇場内に灰が降ってるように見えたり、ガラス越しのシーンで超現実的な存在感が出てたりと、3Dで観る価値のある映像です。
脚本は…うん、この映画のベースになったサイレントヒル3の物語がそもそもとっ散らかっていて、そのオリジナルにあった要素を出来るだけ入れようとしてるせいで詰め込みすぎな印象です。注意深く脚本を追っていないと、頭に?マークが点灯したまま映画が終わるという。ホラーとしてみてもわりとスプラッタ寄りであんまり怖い感じではありません。
一応主題を「父の救出」にしたり、ゲームではラスボスだったアレが出てこなかったりと物語のシンプル化はされてたんですが、まだ足りない感じでした。
原題がどうも「サイレントヒル2」だったらしく、映画の1で提示された内容を知っていないと話に置き去りにされる可能性があります。一応観てなくても大丈夫な脚本にはギリギリなってましたが。
原題と違ったタイトルになっているのは、「1を観てないからなー」といって客に敬遠されるのを避けるためだと思いますが、有名な映画と違って公開直前に1のTV放映など出来なかったのはB級映画の悲哀です。ですから観に行くのであれば、映画の1を観てからの方が良いでしょう。
あと、全てが終わったあとのシーンが妙に意味深に見えるんですが、あれは伏線や真相ではなくゲームファンへのサービスシーンです。サイレントヒルゼロとサイレントヒル5をプレイした人ならニヤッとする類いのもの。


・銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ
空知先生は映画用にネームを300ページも書いたそうです。ネーム形式でないと話が浮かばないのかもしれません…が、その甲斐あってこれぞ銀魂という脚本になってます。
ライブで話を考えるせいで先の展開が全く読めず、そして最後には全て丸くおさめる。TVシリーズと何ら変わらないメタギャグ全開なノリが冒頭からしばらく続いて「この映画本当に大丈夫なのか…」と思うんだけど、話が進んでいくとそんな心配は綺麗に吹き飛ぶ。そしてギャグだと思っていた要素を後半でリンクしてくる。
泣かせるセリフに粋なセリフ。繰り返される天丼。ギャグと人情の絶妙なブレンド。見た瞬間吹き出してしまう変わり果てた知り合いたち。意外な要素を伏線として繋いでくる妙技。いつもの、足掻いて足掻いて創り出されている素晴らしい銀魂シナリオです。
実際の所、PVでも使われていた「俺を殺せるのは俺だけ」というセリフの意味、世界が崩壊した理由、タイムスリップが絡む複雑なシナリオ展開など、よくこれだけの脚本を考えたものだと思います。そして「完結篇」と銘打っておきながら、マンガやTVシリーズのメインシナリオを一切傷つけることなく綺麗に締めて終わる。そりゃ公開も3ヶ月延びるってもんです。
20人近くもの登場人物が出るにもかかわらず話が混乱しないのも流石です。もちろん銀魂を知ってる人向けの内容なので人物像が観る前から固まってるというのもありますが、劇中で提示される様々な謎が最後には一点に収束するシナリオ構成の勝利です。
原作ファンということでバイアスかかってますが、最近観た映画の中では抜群に面白かったです。これもぜひ映画館で観るべきです、メタギャグ的にも。

ハイキュー!! 1周年。改めてその魅力を語る

ハイキュー連載開始1周年!…から2ヶ月ほど経とうとしています。
面白さは減速するどころかますます加速しています。青春も成長も戦略も全部入りなスポーツマンガであるハイキュー、その魅力を改めて話してみます。

バレーボールはボールを繋ぐスポーツであり、それ故に「選手間の信頼」がハイキューでは何度も描かれます。
面白いのは、マンガの定番といえる「みんなの思いがこもった~」「信頼があるからこそ~」という測定不能な要素が、ハイキューでは「スムーズな連携」「ここぞというところでボールを繋ぐ」といった現実的な動作に現れてくるところ。
まだまだチームとしては経験値が低く、主人公である影山の才能に頼るところが大きい烏野に対して、相手チームの安定感のある攻撃という対比。才能 vs 経験・信頼・実績。
そしてハイキューでは、前者が後者を圧倒することはないのです。

主人公二人のうちの片方である影山は、作中で「天才」と呼ばれてます。圧倒的な才能に加えてバレーボールに対するどん欲さとストイックさも併せ持ち、1年ながら他校からもマークされるような存在です。
これまではもう一人の主人公、日向の成長にフォーカスが当たることが多く、もとから実力の高い影山はどちらかというとその独善的な性格が丸くなっていくような描写が主でした。
ところが…まだ単行本に載ってない最新の話なので詳細は語りませんが、その影山が追い込まれます。その理由はざっくり言うと「経験不足」。
天才ではあるが選手としては経験不足であり学ぶべきことはまだまだ多く、つまりは成長途中だということ。現状では、天才ではないが経験豊富であり視野も広い "優秀なセッター" に敵わないのです。

セッターの話をすると、最近のハイキューでは「おおきく振りかぶって」と同じく、セッターの視点を導入することでバレーの戦術が語られます。
相手の守備をどう出し抜くか。相手の攻撃をどう防ぐか。ともすればフィジカル一辺倒、強い速い上手いになりがちなこの辺りについて、ハイキューでは性質の違うセッターたちが "戦術" を見せてくれます。
相手の動きを観察してフェイントや奇襲をかけてくるのが得意なセッター。圧倒的な才能で凸凹な選手を繋ぐセッター。選手の特性を見極めてその力量をフル活用するセッター。
そしてチームのスタイルはセッターだけでは成り立ちません。
チームの安定したレシーブ力が、セッターの奇襲のお膳立てをする。
優秀なセッターの的確なトスは、性質の異なるアタッカー達の存在があって初めて生きる。
バレーは独りでは戦えないというハイキューのメインテーマがここでも生きています。

…と、なんやかんや書きましたが、ハイキューの最大の魅力はやはり登場人物につきます。
主人公が属する烏野バレー部だけでなく、相手チームのメンバーも魅力的に描かれます。コミカル寄りな絵柄や雰囲気と密度の高い描写で、キャラクターが非常に生き生きとしています。
試合前や練習中でみせるコントのようなやり取り、「恥ずかしいセリフ禁止!」と指差ししたくなるような直球の台詞、高密度なコマ割りで表現される瞬間瞬間のカッコ良さ。烏野だけでなく相手チームにも相応の描写があり、ハイキューのテーマ通りチームメイトすべてに光が当たる。
個人的に気に入っているのが烏野のコーチと顧問。スポーツマンガにおいて監督やコーチというのは影が薄かったりただの助言役だったり君臨すれども統治せずだったりするのですが、ハイキューではコーチと顧問にも烏野バレー部に関わるドラマがあり、そしてどちらも発展途上です。
コーチはレギュラー登用に選手の気持ちを想像して葛藤したりしますし、顧問はバレーの知識はない新参ながら熱意を武器にしてバレー部のために走り回ったり。この辺りもハイキューは漏らさず拾いあげます。

んで結論は1年前と同じです。少しでも興味があったら単行本を買って読むのだ!できれば1・2巻をセットで!
なぜセットを勧めるかというと、1巻は主人公二人の背景説明や入部騒ぎにほぼ費やされていて、烏野バレー部が動き出すのが2巻からだから。
2巻はバレー部メンバーとの描写あり、練習試合あり、そして主人公コンビの"速攻"が炸裂したりと、1巻よりもはるかに面白いのです。
公式サイトでは5話まで試し読みできますが、5話どころか、2巻を読まないとハイキューの真の魅力は分かりません! とあえて断言しておきます。

捏造されるミステリ。「インテリぶる推理少女とヤリたいせんせい」感想

twitterで名前をちょいちょい見かけていたノベル「インテリぶる推理少女とやりたいせんせい」を読みました。
たまたまイラスト担当された方をフォローしていて、なんか内容がスゴいらしいと。
ネタバレを最小限に抑えつつ感想を述べると…










簡潔に述べると、エロゲあるいはエロマンガを基調としつつミステリを捏造する。自分で書いててよく分からんけどこういう書き方しかできない。
エロゲやエロマンガって、究極的にはエロが目的であってそれ以外のことは言い訳にすぎないでしょう。登場キャラが長々と述べるミョウチクリンな理屈。事に及んだときの必要性皆無な脳内独白。いるのかそれ。なんだかんだいっても結局はエクスタシーでしょうそれが真実。
物語はせんせいが中学生を次々に暴行していくというとんでもない話だが基本的にはギャグ。強姦ギャグ。あえて例えるなら月亭八方の有名な歌、あるいはスピリッツに連載していたなんとか課長みたいな下ネタマンガのようなもの。いやあれよりもっとひどいギャグ。一人目はそこそこマジメ?な描写だけど二人目を襲う場面は完全にギャグ。いきなり野球拳を始めて既にパンツは脱いでるとか、主人公が襲った筈なのに発見時には足コキされているとかツッコミが追いつかない。
せんせいの態度はエロゲを惰性でプレイするプレイヤーのよう。DFE = Dead Fish Eyes で日常シーンをスキップしてエロシーンを目指す感じ。あるいは次の攻略対象をCGコンプするためDFEでシーンスキップな感じ。エロゲプレイヤーのメタギャグである。
この辺のノリをOKとするか否かでまず評価が真っ二つだろうと想像される。

ところで、最近のミステリは価値の反転を得意としている。例を挙げるなら「深い理由なんて無かったんだ。ただ魔が差しただけ、それが真相である憑き物払い完了!」や「同行者がよそ見した数秒の間に殺したんだ、アリバイ崩し完了!」といった、そこまで延々と考察し推理してきた構造が全部虚構でしたーみたいなやつ。
そしてこの小説、略称インテリぶるは逆のことをする。
主人公のせんせいは「ヤリたいから」という純粋な動機により暴行に及ぶ。しかしその場にヒロインが乱入してきて、彼女のミステリ脳をもって真相っぽいものを捏造し、せんせいの罪を軽減する。それはそれで主人公としては都合がいい(というかツッコんでもヒロインが聞く耳持たない)ので流れに任せる。
この辺の登場人物のやり取りは西尾維新を思い出させる。読んでいるとせんせいの声が阿良々木さんで再生される。つまり真剣に議論するのがバカバカしい話題についてロジカルシンキングなやりとりが行われる。何も無いところにミステリ成分が造り出されていく。ストーリーが捏造される。
でもせんせいは話を合わせつつ(繰り返しになるがヒロインが聞く耳を持たないからだ)、とりあえずアホかと一蹴している、はずだった。

そして物語の後半から、その「捏造される物語」に読者が翻弄されてしまう。
小説がせんせいの一人称視点で書かれていること、そしてヒロインが繰り出すミステリ脳的あるいはエロゲ脳的ロジックに、同じくロジックで対抗していたこと。それが罠だったことに気付いても手遅れで、せんせいの、読者の立脚点は、ヒロインの趣くままにに振り回される。
これをスゴいと思うか、ふざけんなと本を壁に投げつけるか。評価は再び真っ二つに分かれると思う。
ラストに繰り返される連続ドンデン返しはミステリ的ともエロゲのマルチエンド的とも言えるけど、最終的にはちゃんと着地している。
あれは話を投げているわけではなく、捏造された虚構が存在しない純粋な地平に着地しているラストなのだ。

…精神年齢18歳以上推奨であり、強姦魔たるせんせいの強姦魔まる出しなモノローグに笑える人でないとスムーズに読めないと思う。強引にまとめるとナンセンスな作品であるということ。でも面白いのでだまされたと思って読んでみると良いかもしれない。

冬アニメの感想とか

最近はニコ動などでアニメを見る機会が増えてきました。特に気に入ってるものについて感想を書いてみます。

・たまこまーけっと
万人向けに見えて実はかなり尖ったアニメ。このスタッフは放っておくとものすごくターゲットの狭いアニメを作ってしまいそうな雰囲気があります。
作品の隅々までが女性目線で作られていて、取り上げる物事が普通の日常系アニメと違います。そのためか、けいおんの頃からこの作風に異を唱える人が後を絶ちません。山田尚子監督作品をいつから万人向けだと錯覚していた? 的な話ですよ。
基本は力抜いて観られる良い作品です。

・ヤマノススメ
良さそうだと気になっていた作品ですが、予想以上でした。
まず作画がとても綺麗。ニコ動の公式配信が不自然なぐらい高画質で、プレミア会員でみると720Pかそれ以上の解像感がある。背景も人物もほとんど崩れないし、特に背景の綺麗さは5分アニメのレベルじゃない。
内容は女子二人が山登りを始めるというもので、山登りのいろんなネタも面白いです。

・戦勇。
戦勇。を見るまで、監督をやってるヤマカンがハレぐぅに携わっていたのを知りませんでした。
ギャグ、テンポ、演出、すべてがキレッキレ。ヤマカンの本領はギャグなのかなやっぱり。
個人的にRPGをパロディにした作品は受け付けないんですけど、これはゲームのお約束的なものをネタに出してこないので問題なく見れてます。展開は徐々にシリアスになるらしいので続きが楽しみです。

・ビビッドレッドオペレーション
「細けえことはいいんだよ!」という言葉をまず立てておいてから見るアニメ。可愛い女の子のキャッキャウフフ、物理法則ガン無視で外連味だけを追求した戦闘シーン、そして見せたいものを見せることに注力した結果としてのおかしな(褒め言葉)ストーリーと、アニメならではの愉しみが詰まっている、いい意味で歪んでいる作品です。
絵が気持ち良く動いていれば、絵に魅力があれば、多少のことは気にするな!という割り切りが気持ちいいです。戦闘シーンのスピード感や、小さい人間が大火力の攻撃をぶっ放すデタラメ感は見ているだけでワクワクします。

人はそれぞれの形で優しい - ヱヴァQ ネタバレ全開感想

ここからはヱヴァQのネタバレ全開感想あるいは妄想です。引き返すならいま。
















Qの感想としてまず挙がるのは、人気(ひとけ)のなさ。
破までは生活の息吹がありました。都市に生きる人々、学校、使徒防衛における総力戦。
ところが、Qの風景は the day after であり、中盤でシンジ君が目にするのは廃墟となったネルフ本部と、破滅した地上の風景。
すべてが終わったあとの風景は静かで美しい。エヴァはビジュアルインパクトの塊だけど、それはこのQでも色褪せてません。ネルフ本部は廃墟というより巨大な墓標で、世界が半壊したにもかかわらず14年のあいだ墓守をしていたゲンドウと冬月先生、そしてネルフとの闘いを継続するヴィーレという構図にやるせなさのようなものを感じます。
やるせなさといえば、エンディングに流れる曲「桜流し」の雰囲気も圧倒的です。音楽の持つ力を再認識させられます。

破のラストで旧劇言うところの「S2機関取り込み」が起こったらしく、ネルフが配備している使徒ライクな兵器、新型エヴァ、2号機のビーストモード、それらには最強使徒ゼルエルが持っていた「硬軟自在・容積無視の包帯」「巨神兵ライクな破壊光線」なんかが備わってました。
文明が潰えた荒野でいまなお、生き残りがそれぞれの望みを通すため、世界を破滅させたテクノロジーを操って黙示録的なバトルを展開する。Qには前二作にはなかったSF的な寂寥感があります。

登場人物については…ミサトとアスカかなー、やっぱり。
シンジ君からしたら、起きてみれば14年経過、周りの人はなんか微妙な態度、ミサトさんには突き放され、レイは救出できていないと散々ですが、中盤でシンジ君がカヲル君から洗脳くらってる場面を見たあとは、逆にミサトさん達のことを考えてしまった。

カヲル君はシンジ君を「君は罪なんだよ」という。だけどちょっと待ってほしい、彼は確かに破のラストでサードインパクトのきっかけを作ったかもしれないけど、そのあとに本物のサードインパクトを起こしたのはネルフとゼーレですよね? というか最初から起こす気でしたよね奴ら。
爆心地の惨状を見る限り、旧劇と同じようにレイかあるいはレイに連なる何かを媒体としてサードインパクトを起こし、最終的には槍二本差し込まれて中断されたっぽい。
元ネルフ職員の立場からすれば、「ネルフの目的はサードインパクト防止ではなく、彼らの望みの媒体でサードインパクトを行うことだった。使徒を撃退して世界を守っていると思っていたのに実は人類滅亡に加担していた、しかも子供を手駒に使って」なわけで、ヴィーレとして戦いつづけているのもそのへん忸怩たる思いがあるためかもしれない。
で、そこへ来て、14年前に時間が止まった少年が起き抜けに言うわけです。「アレカラドウナッタンデスカ?」「アヤナミハドウナッタンデスカ?」と。
想像してみる。もしかしたら破の後、ミサトさん一行はネルフに敵対してサードインパクトを止めようとしたのかもしれない。でも止まらなかった。サードインパクトの発動を止められなかったという事実はミサトさんたちに影を落としている筈。
そこに、過去の少年が過去のまま現れて、純粋な問いを投げかける。それ自体が罪の告発です。私だったらその場から逃げだすね。
特にミサトさんは作戦指揮をとって、シンジ君の保護者になって、結果といえばサードインパクトで世界崩壊ですから。私がミサトさんだったらシンジ君に正面切って相対する自信がないです。
シンジ君へのイライラが押さえきれないのもまたアレで。「きっかけ作ったのはあんたでしょ」とか「うっさい黙れ何も知らないくせに」とかいう呪いの言葉をはかないのは流石です。イライラの真の原因は罪の告発者であるシンジ君ではなく、ミサトさんが持つ罪それ自体なので。

…そして、ミサトさんはやっぱりシンジ君に優しい。
本当なら、サードインパクトのきっかけを作った人間であり、シンクロ率0%とはいえ覚醒の兆候もあり、使徒化?している可能性もあるシンジ君はすげえ危険な存在であり、そのまま棺桶に封印しとけばいい筈。でもそうはせず、ちゃんと起こして人間扱いしてる。
サードインパクトの顛末を教えるとシンジ君が潰れかねないのでそこは知らせない。他のクルーの反応を見ると箝口令を敷いている感じもする。実際カヲル君から顛末を聞かされたときシンジ君は予想通り潰れかけてたし。
シンジ君の首に爆弾を付けて起爆スイッチは自分で握ってるけど、シンジ君がさらわれる場面ではやっぱりボタンを押せない。

ミサトさんだけじゃない。赤城博士も優しい。首輪を付ける理由をきっちり説明するのは科学者なりの優しさだし、起爆ボタンを押せなかったミサトさんに対して何も非難しない。
トウジの妹も優しい。シンジ君がサードインパクトの直接原因だとしたらもっとキツい態度でもおかしくない。きっとトウジやミサトさんから、エヴァパイロットしてのシンジ君の様子を聞いてたのかもしれない。さすがに「エヴァに今後乗らないで」とは言ってましたが、この発言は厳密にはシンジ君を非難してるわけではない。

そしてアスカ。相変わらずバカシンジ呼ばわりですけど、全体通して見るといまでもシンジ君のことが気になるんだなー、と。
彼女もミサトさんと同じく、本気でシンジ君を嫌ってるわけではない。ギャーギャーうるさいのは彼女の標準動作っぽいし。マリはそのへん理解してて彼女の悪態を受け流してますし。
シンジ君が起きたときすぐに様子を見に行ってマリに茶化されたり、爆心地での戦闘だってマリがバックアップしてるんだから殺す気でやれば13号機を抹殺できたはず。だけど実際には「殴ってでもバカシンジを止めるっ」でした。ラストでもエントリープラグのハッチを開けてシンジ君を叩き起こし、そして手を引いてやる。

優しいと言えばカヲル君も優しかったけど、シンジ君に近づく手法は「弱った人間をインチキ宗教にはめる手法」そのものでした。
情報を与えず、目的を与えず、徐々にシンジ君に取り入って、彼が犯した罪を伝えてさらに弱らせ、そこにアメをぶら下げて、最後にはフォースインパクトを起こすようそそのかすことに成功する。
彼の誤算は洗脳が効きすぎていたことで、状況がおかしいことに気付いて途中で引き返そうとするもシンジ君がそれを聞き入れずに強行しちゃいました。犯した罪をなかったことにできるという甘言を弄した結果、シンジ君はそこに執着するようになってしまい、最終的にはカヲル君自身が自殺して誤ったフォースインパクトを止める。
帳尻合わせをシンジ君にさせず自分で行ったのは優しさを通り越して愛かもしれない。
このへんの、誤った道に引き入れようとするカヲル君とそれを止めようとするミサトさんやアスカという構図。新興宗教にハマった身内を足抜けさせようとする話を思い出します。
ハマった当人からすれば甘い言葉をかけてくれる勧誘者の方が優しくて、足抜けを勧めてくる家族は優しくないんですけど、誤った道に進もうとする身内を強い言葉で引き止めるのもまた優しさなんです。

…Qで、シンジ君の周りにいる人たちはそれぞれの形でシンジ君に対して優しかったけど、本人にはそれが伝わっていなかった。
カヲル君の愛は伝わったのだろうか? 伝わったかもしれないがシンジ君はそれに気付かないかもしれないし、カヲル君はもういない。
ミサトさんやアスカの優しさは伝わるだろうか? 永久に伝わらないかもしれないし、Everybody finds love in the end かもしれない。ラストシーンのアスカのように、手を引くことしかできないかもしれない。
でもたぶん、手を引くことは無意味ではない。だからあの結末にはささやかな希望を感じるのだろう。

映画感想:ヱヴァQ(わずかにネタバレあり)

ヱヴァQ観てきました。ネタバレを最小限に抑えた感想を。

最初の30分ぐらいは、「リメイクは破で終わって、ここからは新しい物語なんだ!」と思ったけど、終わってみればやっぱりリメイクでした。ストーリーは全然違うけどリメイク。観れば分かります、たぶん。
例の組織のあれ、庵野監督はやっぱりネルフのように地下基地に引きこもるよりもああいう感じの方が好きなんだろうかと。完全にナディアとかトップを狙えとかのノリでした。
ヱヴァと言えばしょっちゅう逡巡しててすっきり戦わないシンジ君ですが、今回のQの状況を見る限り、わざと不干渉にすることでシンジ君とカヲル君が近づくよう持っていってるという邪推すら可能なレベルでした。すべてはゼーレのシナリオ通りに。
というか、碇親子は愛した人に何かをそそのかされる血筋なのだろう。ねえ、ユイさん。

冒頭から最後に至るまで、このQは the day after でした。背景美術はとても印象的です。
311?そうかもしれない。
あの日に戻りたい? そうかもしれない。しかし。
残念ながら、世界の歪みを個人的な動機で修正しようという行為は、失敗して現状肯定せざるを得ないというオチになると昔から決まっている。

ラストシーンは、旧劇場版を観た人は特に思うところがあるだろう。世界が壊れた - the day after - だとしても、人生は続く - life goes on - なのである。
見た人それぞれの感情があると思うけど、私はあのシーンにささやかな希望を感じました。

映画感想:劇場版 機動警察パトレイバー2

ニコ生で劇場版パト2を久しぶりに見ました。10年以上前にビデオで一度見たきりだったので細部を完全に忘れてて、以前とはまったく違う印象を受けました。

当時、雑誌ニュータイプに製作決定を伝える記事が載っていて、「東京で内戦をしてみようと思うんです」という押井守の言葉が強く印象に残っている。
「内戦」についてのイメージは各人でかなり異なる。私は内戦と聞くと、民族闘争やそれに伴う虐殺などの暗いイメージしか思い浮かばない。
パト2での内戦状態というのはこう70年代的というか、戒厳令が敷かれ、軍隊が街の至るところに駐屯し、敵対組織はテロルを基本形態とする、みたいな感じ。
柘植さんは東京をして「かりそめの平和」というが、その本人が再現した内戦状態もまた虚構だった。
ラストシーンでの松井さんの問いが虚しい。松井さんは柘植を、政府転覆を企てるテロリストの類いだと思っていたけど、彼の動機と言えば、平和ボケした日本に冷や水ぶっかけるという類いのものだった。自ら戦争に赴き、PKOで実際の戦争を体験し、考えることが「お前ら平和ボケの目え覚まさせたる」なんだからどうしようもない。

いま見ると、内戦状態が作られていく様の方がはるかに印象に残る。
交通封鎖した状態で橋を爆破。爆破したとおぼしき戦闘機が偶然撮影されたビデオに映っていた(もしくは、意図的に撮影された)。そこから導きだされる憶測。
爆破された橋そのものの様子はほとんど描写されない。代わりに、橋の爆破を伝えるニュース映像が繰り返される。
主人公である後藤隊長や南雲さんも、ことの成り行きを伝聞でしか知ることができない。メディアから。荒川さんから。いつもの情報源から。…それらの正しさを誰も保証してくれない。
「確固たる情報がない」状態から憶測を作って世に放つ。憶測は憶測を呼び、何が正しいのか判断できなくなる。結果的に公安と自衛隊が反目しあい、戒厳令の発令までに至る。

荒川と後藤隊長の会話。この国で何かを裁くのは、もの言わぬ神 = 大衆である、と。
大衆はいつも正しいか? メディアから、他人から、"加工された" 情報しか受け取れないのに。
何が正しいのか分からない状態で何かを為すしかないのなら、社会はこの映画のように、ちょっとした細工で簡単に崩壊する危険性をはらんでいる。
この辺りはいま観ても古びておらず、むしろ現在の状況がこの映画を予言めいたものにしてしまっているのが恐ろしい。

アニメグッズが異界を作る

近くの本屋で、入り口辺りにアクセルワールドのグッズが並べてありました。
あれはクジの景品なのか売り物なのか。どちらにしろ、オタク系に特化してるわけでもない普通の本屋であのディスプレイは何か異様な雰囲気があります。
評論家の東浩紀が「もともと子供向けの絵にエロ要素が載っているので、慣れない人が見るとびっくりする」と言ってましたが。
そういえば、ゲーセンのUFOキャッチャーでもアニメグッズで固めた一角があり、そこも同じように近寄りがたい雰囲気を出してます。もっとさりげなくディスプレイしてくれた方がまだ近寄れる。

アニメやゲームのグッズって、私ちゃん風に言えばどうしても「妖気を放つ」ものなんでしょう。
だから、普通の店でそれらを固めてディスプレイすると異界化してしまって近寄りにくくなる。
例えばアニメイトや秋葉原のように、空間全部がそういう異界なら問題なく商売できるはず。そういう環境を構築できないなら逆にもっと風景に溶け込む感じでディスプレイしてくれた方がありがたいです。
プロフィール

waverider

Author:waverider

ああ、沖縄に行きたい…

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